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謎多き天白信仰を求めての神社巡り④白鳥町に鎮座する『天白神社』

こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回「謎多き天白信仰を静岡の地で巡る」の第4弾として浜松市中央区白鳥町に鎮座する『天白神社』を参拝させていただきました。

 

以前このブログに記した白鳥町の『六所神社』のすぐ近くに鎮座する『天白神社』のお社には、常駐しているのかと思わせるほどリラックスした猫さんが寝そべっていました。

 

お参りの時の拍手の音には、さすがの猫さんもビックリするほどの勢いで本来の住まいであろう方向へ走って行かれました。やはり常駐しているわけではなかったようです。

 

御祭神は「倉稲魂神(ウガノミタマノカミ)」、御神徳は五穀豊穣、商売繁盛、さらに一年中の幸福を護る、人々の生活を守り 育成を司る守る、人々の不浄穢れを祓い捜し物の守護とあります。きっと日々の生活すべてを守り導いてくださるのでしょう。

 

まだ正月も2週間ほどあります。氏神様やいつもお参りしている神社さんなどへの初詣がお済みになっていたら、ぜひお参りされることをおすすめします。猫さんがお社で待っているかもですから。

 

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天白神社(白鳥町)

 

 

天白神社(白鳥町)

 

 

静岡県浜松市中央区白鳥町828

 

《アクセス》

 

電車・バス:JR天竜川駅から徒歩約1時間
      遠鉄電車[自動車学校前駅]から徒歩沢1時間7分

車:東名高速道路[浜松IC]から約18分
  東名高速道路[三方原スマートIC]から約21分

駐車場:ありません

御朱印:不明


由緒

 

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『天白神社』のお社、由緒書き

 

天白神社

御祭神 倉稲魂神(ウガノミタマノカミ)

御神徳
一、人々の生活を守り 育成を司る守り神
一、五穀食物の守り神
一、商売繁盛商取の守り神
一、一年中の幸福を護る神
一、人々の不浄穢れを祓い 捜し物の守護

白鳥 六所神社 社家 二十七代

(境内案内板より)

 

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御祭神

 

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お社と扁額

 

倉稲魂神(ウガノミタマノカミ)

 

倉稲魂神とは、日本神話に登場する女神です。『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と表記され、須佐之男命と神大市比売(かむおおいちひめ)との間に生まれた子で、兄に大年神がいます。

 

『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記され、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊奘冉尊(いざなみのみこと)の子で、食物の神を生もうという明確な意思によって誕生しました。

 

稲に宿る神秘な霊霊が神格化されたもので、五穀、食物をつかさどり、伏見稲荷大社などの全国の稲荷神社で稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されています。

 

現在、ウカノミタマは穀物の神としてだけでなく、農業の神、商工業の神としても信仰されており、ビルやデパートの屋上、工場の敷地内などにも、屋敷神として稲荷神を祀る社が設けられていたりします。

 

ただし、稲荷主神としてウカノミタマの名前が文献に登場するのは室町時代以降のことで、伊勢神宮ではそれより早くから、御倉神(みくらのかみ)として祀られていました。

 

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『天白神社』が鎮座する白鳥町の町名の由来

 

白鳥の由来については、平安時代の将軍坂上田村麻呂が登場する白鳥伝説によるものだとされています。

 

坂上田村麻呂の東征の時、軍兵を引き連れてこの地に陣を構えた将軍の前には、泥海と洪水の渦巻く「いわたの海」がありました。

そこで、田村麻呂が白い潮干珠(海水につければ潮水を引かせる呪力のある珠)を荒れ狂う海に投げ込むと、みるみるうちに水は引き、全て陸地に変わったということです。

 

それから、この土地には白鷺がたびたび降りるようになったことから、土地の人々が白い珠と白鷺を吉兆ととり、地名を『白鳥』としたと伝えられています。

 

天白信仰についての考察

 

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天竜川沿いの『天白神社』

 

天白という地名・神社は、三重県志摩郡大王町を西限に愛知を経て天竜川をさかのぼり、長野県南端の下伊那で急に増え県北部まで広がっています。

 

上に貼っている地図は遠江付近のみの『天白神社』の分布図です。天竜川流域を浜松から長野の南端、さらに糸魚川に向って分布しているのがわかります。

 

長野県の最南端に位置する飯田市の、静岡県と愛知県境に近い山間部一帯は、昔から秘境「遠山郷」として知られています。ここ「遠山郷」では「天白」という地名はそれほど珍しいものではないと聞きます。

 

というのも、「遠山郷」の各集落で、霜月(旧暦十一月、現在は十二月)に昼夜を徹して行われる「遠山の霜月祭り」という、全国の神々を招きお湯でもてなし、太陽と生命の復活を祈る儀式があります。

 

この「霜月祭り」の主役で、最後に出てくる面が「天白さま」で、神社は須沢をはじめ各地にあり、たいへん身近な神様だといいます。

 

飯田市(かつての南信濃村)では『霜月祭り』に登場する天白の面の他、須沢の朝日天伯・夕日天白・平松天白、小道木の辰巳天白、池口天白社、上島の本谷天白、八重河内に朝日天伯と神社の数も多く、天白信仰の厚いことが窺えます。

 

そして、南信濃村での湯立神楽の古い形態を今も伝承しているのが、国の重要無形民俗文化財に指定された『遠山の霜月祭』です。

 

『遠山の霜月祭』

 

長野県の最南端に位置する飯田市の静岡県と愛知県境に近い山間部一帯は、昔から秘境「遠山郷」として知られています。 南アルプスの山塊に囲まれた「遠山郷」の各集落で、霜月(旧暦十一月、現在は十二月)に昼夜を徹して行われてきたのが、「遠山の霜月祭り」です。

 

映画「千と千尋の神隠し」は、神々が集う「湯屋」が舞台となっていますが、この「遠山の霜月祭り」の神聖なお湯で神々を清める「湯立て」の神事がモデルの一つになっているのはご存じでしょうか?

 

遠山の霜月祭とは、旧暦の11月(霜月)に行われるの湯立神楽で、昼間が最も短く生命力の弱まった冬至の頃に、全国の神々を招きお湯でもてなし、太陽と生命の復活を祈る儀式と考えられているそうで、現在は、12月の前半に遠山谷の各集落の8神社で大祭が日を違えて行われています。

 

上村・南信濃の各神社内に湯釜を設け、一昼夜にわたりその周囲で神事や舞いを行う『湯立神楽』が奉納されます。

 

神社によって細部は異なるようですが、基本的には午後(正午ないし夕刻近く)から祭場の祓い(はらい)と神名帳奉読による神迎えに始まり、湯立てという舞を繰り返します。「湯立て」とは、社殿の中央の釜の上に神座を飾り、湯を煮えたぎらせて神々に捧げるものです。

 

祭りのクライマックスの午前0時になると全国の神々を返したのち、神が入り清められた湯釜の前に天狗などの面の神が登場し、煮えたぎる湯を素手で左右にはねかけます。ふりかけられた禊ぎの湯によって、一年の邪悪を払い新しい魂をもらい新たな年を迎えるといい、翌朝7時までの夜通しの開催になっています。

 

神事でありながら般若心経を唱えたり、数珠を持ち印を結ぶなど、神仏習合の姿や、人神供食など、祭の古い姿をよく残しているということもあり、禊ぎの湯で邪気を祓うご利益を求めて訪れる人も多いと聞きます。

 

参照元:https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/shimotsukimatsuri.html)

 

天白信仰の広がり

 

これまでも何度も語ってきましたが、『天白信仰』は地域が限られ、上の地図のように天竜川流域に集中していること、また名古屋市昭和区天白町(現 天白区)のように地名として残り、いくつか「天白神社」もあるのに、その由来が不明で謎の多い神様であるという事です。

 

ネット上での情報を集めると『天白』とは、山の神・田の神・水の神・織物の神、星神、海や山を鎮める神、そして天狗、かっぱ、白馬に乗った白髭を生やしたおじいさんなどであると考えられているようですが、天竜川や愛知県の天白川は当たり前ですが、往古の時代には海が内陸深くまで入り込んだものが引いて川となったものです。

 

畑として利用するためには石や岩も多く、たびたび起こる川の氾濫でビシャビシャの湿地や沼地の開墾にはかなりの労力が必要です。

 

そんな困難に立ち向かう時には、自然やすべての物には神様がいるという縄文時代から続く自然信仰にプラスしたくなるような何かしらもっとすごい神様が登場し、崇拝していたのではないかと考えます。

 

秋葉街道を文化が走る?

 

長野県南端にあった長野県南信濃村(現在は飯田市と合併しています)は、全国的に「秋葉参り」が大流行した江戸時代に「秋葉街道」の宿場町として栄えたそうです。

 

南北朝時代に宗良親王が盛んに利用していた中央構造線の谷を南北に通る道(現在の国道152号)は、江戸時代になると信仰の道「秋葉街道」として多くの人が行き来するようになりました。というのも、火災が多かった江戸時代、火伏の神を祀った秋葉神社(浜松市天竜区春野町)を参詣する「秋葉参り」が全国的に大流行したためです。

 

この「秋葉街道」の宿場町として栄えたのが長野県南信濃村、沿線には、当時の秋葉信仰を物語る石造物などが今も残されています。また、「秋葉街道」を通って入ってきたのが「歌舞伎芝居」です。

 

庶民を中心に文化の華が開いた江戸時代、村人たちは旅芸人から歌舞伎を教わり、自分たちで演じるようになったのが「農村歌舞伎」で、現在も長谷の中尾で「中尾歌舞伎」として受け継がれているそうです。

 

興味深いのは江戸時代以降、街道沿いや集落の入口には、道標や道祖神、馬頭観音、庚申塔といった石造物が数多く造られたと聞きます。これらの石造物を造ったのが「高遠石工」とよばれる職人たちです。

 

江戸時代、信州高遠は石工(いしく)の里として全国的に知られ、高遠藩領内出身の石工は「高遠石工」と呼ばれ優れた腕を持っていました。石工とは石材加工を行う職人のことで、石切(いしきり)とも呼ばれ、全国各地に出向き、出張先で石仏や石塔、石橋、鳥居、石垣など様々な石造物を造ったのです。


秋葉街道を通じて歌舞伎のような文化が入ってきたり、江戸時代以降、街道沿いや集落の入口に多くの道標や道祖神、馬頭観音、庚申塔といった石造物が造られたような文化が全国へ出て行ったりの中心の地が南信濃だったということも注目したいです。

 

伊那市では旧石器時代のどの辺りかは不明のようですが、洞窟で肉を焼いて食べていた当時の人々の暮らしが思い浮かぶような遺跡(戸台秋葉洞窟 長谷地域)が発見されています。

 

また縄文時代の中期(約5千年前~4千年前)の平均気温は現在よりも2度ほど高く、自然が豊かな伊那谷や八ヶ岳周辺など今の中部高地一帯が、当時の日本の中でも人口が多い場所となったそうです。当時日本全体の人口が26万人だったのに、四分の一以上の7万人がこの一帯に暮らしていたといいます。

 

稲作を行い、金属器を使用する弥生文化は、北九州で定着した後、半世紀も経たないうちに西日本全域に広まったのですが、東日本ではまだ縄文時代晩期の文化が続き、東海地方では縄文人の集落と弥生人の集落が併存していたようです。

 

そして、お互いの交流の中で生まれた弥生文化が、天竜川沿いに北上し、伊那谷から諏訪盆地・松本平へ伝わったと考えられているそうです。もしかしたら、この稲作文化が天竜川を北上した頃に、縄文時代から続く自然信仰にプラスしたくなるような、沼地や湿地の開墾に必要な神様が登場し、稲作のための道具や情報の流通と共に信仰が広がっていったのではないかと素人は考えました。

 

そして、今回参拝させていただいた『天白神社』が鎮座する地は白鳥町、まさに往古の時代には海が内陸深くまで入り込んだものが引いて天竜川となり、隆起した土地には天竜川が運んでくる土砂があふれ、水はけも悪い湿地帯だったのではないでしょうか?

 

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まとめ

 

今回「謎多き天白信仰を静岡の地で巡る」の第3弾として浜松市中央区白鳥町に鎮座する『天白神社』を参拝させていただきました。かわいらしい猫さまがお社出迎えてくれて、「もしかして歓迎モード?」とうれしくなった参拝でした。

 

御祭神は「倉稲魂神(ウガノミタマノカミ)」、御神徳は五穀豊穣、商売繁盛とプラスして一年中の幸福を護る、人々の生活を守り 育成を司る守る、人々の不浄穢れを祓い捜し物の守護と由緒書きにあります。

 

まさに日々の生活に感謝しつつ、世界平和と天災除けをお願いするのにぴったりの神社だと感じました。

 

こうして遠江の『天白神社』を少しずつ巡っているのですが、それぞれ同じ信仰であろうのに、不思議と御祭神としてお祀りしている神様がちがうのです。このような疑問も素人なりに勉強して少しずつ解明していけたらと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。

 


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