こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
今回ご参拝させていただいた謎多き『天白信仰』の神社は、浜松市中央区西ヶ崎に鎮座する『天白(てんばく)さま』です。
三重県志摩地方を南限とし、名古屋には天白区、豊橋には天伯町の地名が残り、天竜川沿いの遠州地方から長野県にかけて多く分布している『天白神社』の一つがこちらの『天白さま』です。
『天白さま』は小さいお社ではありますが、大晦日の神事には多くの参拝者がお餅を持参してお参りされていると聞きますし、きれいに整備され地元の皆さんに愛されている神社だと感じました。
お参りにお餅を持参するのは、大晦日の神事のあとに、参拝者が持参したお餅を焼いて食べると厄払いや家内安全になるといわれているからです。浜松市の他の『天白神社』にも、同じように大晦日に神社で焼いたお餅を食べて悪病除けになるという話が今も残されていると聞きます。
今後参拝させていただく天白神社でも同じような話があると面白いですし、限られた地域だけに伝わる話だとしたら、どのような広がりがあったのか知りたくなります。
天白信仰についてはいろんな説があり、御祭神も遠州では「倉稲魂神」、「天白羽大神」であったり、他にも「瀬織津姫」、「猿田彦命」、「宇加之御魂神」、「太田命」であったりと不思議なことばかりですが、ある意味神秘的でもあり興味深いです。
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天白さま(天白神社)
鎮座地:浜松市中央区西ヶ崎171
《アクセス》
電車・バス:遠鉄電車[小松駅]から徒歩約7分
遠鉄電車[西ヶ崎駅]から徒歩約10分
車:東名高速道路[浜松西IC]から約19分
東名高速道路[浜松IC]から約15分
駐車場:ありません
御朱印:不明
御由緒
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天白神社の創建年代不明です。元々は現在鎮座する場所の南西に祀られていたそうです。
1874年(明治7年)び八面神社(やおもて)と共に八幡神社(西ヶ崎町)に合祀されましたが、1928年(昭和3年)頃に西ヶ崎上で度々火災が起きたことから、再び地元で天白神社を祀ることになりました。
今でも大晦日の晩には神事の後、参詣人が持参した餅を焼いて食べると厄払い・家内安全になるといわれているそうです。
遠江では浜松市中央区上島の『高貴神社』(境内社に天白社あり)でも同じように大みそかに参拝し、餅を焼いて食べると悪病除けになるといわれています。これは天白つながりなのでしょうか?
手水鉢
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天白さま(天白神社)
天白神社(創建年代不明)は、元は現在地の南西に祀られていた。明治七年に八面(やおもて)神社と共に八幡神社(西ヶ崎町)に合祀さ れたが、昭和三年頃に西ヶ崎上で度々火災が起きたことから、 再び地元で天白神社を祀ること となった。
今でも大晦日の晩には神事の後、参詣人が持参した餅を焼き この餅を食べると厄払い・家内安全になると言われている。
平成二十五年三月 浜松市東区役所
(境内案内板より)
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まとめ
今回の謎多き『天白信仰』の神社巡りは、浜松市中央区西ヶ崎に鎮座する『天白(てんばく)さま』でした。
御祭神もネット上の情報では不明ですが、想像では上島の『天白社』と同じ「天白羽大神」だったらいいなと思っています。共通点は大晦日の焼いたお餅で厄払いできる点だけですが・・・。
少しずつですが、三重県志摩地方を南限とし、天竜川沿いの遠州地方から長野県にかけて多く分布している天白信仰の知識が増えてきました。
遠州での天白信仰の場合は、天竜川沿いに多いことから、やはり川の氾濫をおさめてくれる神様の信仰ではないかな?と思っていますが、まだまだわかりません。御前崎市の下朝比奈にも立派な『天白神社』が鎮座していますから。あの辺の川なのか遠州灘なのかも調べてみたいと考えています。
今回お参りさせていただいた『天白さま』こそが、古来から人々に祀られてきた神社なのかなと感じます。やはり、明治以降一度合祀されたけれども、火事や地震、水害などの被害を被ると、「やっぱり『天白さま』が必要!ここにいてくれないと困る」と頼りにする村人の願いから元の場所に戻る神社って多いですよね。
最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。