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『細江神社』の境内社ー宝暦4年の大震災の復興につとめた近藤用随を讃えた『藺草神社』のほか七社

こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

先回の記事で訪ねた地震の厄除けとしても知られる『細江神社』、古くは牛頭王社と呼ばれ、今も地元の人々に『気賀のお天王さま』と呼ばれ親しまれていた細江神社の境内にあるのが、今回ご紹介する『藺草神社』です。

 

宝暦4年の大震災で海水に浸かり作物が採れなくなって困ってしまった気賀の復興につとめた気賀六代近藤縫殿助用随(ぬいどののすけもちゆき)をたたえて造られたのが、この『藺草神社』です。近藤氏は井伊家にも被官し、家康の遠江侵攻を助けた「井伊三人衆」の一人です。

 

この近藤用随は、豊後(ぶんご/現在の大分県)特産の琉球藺(りゅうきゅうい)の移植に成功、後にこの琉球藺を使った畳表の製織は浜名湖岸で暮らす冬の農家の副業として、さらに遠江地方であんだ畳表(たたみおもて)は『遠州表』として知られるようになり、この地域をを潤したそうです。昭和20年代までは気賀の特産として多くの農家で栽培され畳表が織られていたと聞きます。

 

神社の横に狭いですが、この琉球藺草を栽培しているスペースがあります。笹というかススキという感じですが、この藺草があのさらっとした裸足の夏は最高と思える「畳」の表面になるのか!と。

 

畳1枚にどれだけの藺草と労力が必要なのかと考えていると、幼いころ農家だった両親が煤で黒くなった古民家の土間で夜なべをして藁(わら)で「むしろ」を編んでいた姿を思い出しました。

 

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藺草神社

 

 

藺草神社

 

 


場所:静岡県浜松市浜名区細江町気賀996

 

《アクセス》

 

電車・バス:JR[浜松駅]より気賀行きバスで約60分[国民宿舎入口]下車、徒歩約2分

車:東名高速道路[浜松西IC]から約20分
駐車場:横の細江神社社務所の南側に約15台分あります。境内横の側道から入れます。

御朱印:不明

 

藺草神社由緒

 

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『藺草神社』拝殿と扁額

 

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彫刻の龍が印象的です

 

宝永4年(1707年)の10月、遠州地方で大地震があり、押し寄せた高潮のため、浜名湖沿岸の田には塩が入り、稲は全滅の状態でした。

困り果てた村の庄屋達は、当時の気賀の領主近藤縫殿助用随(ぬいどののすけもちゆき)公にその苦境を訴えました。

領民のためを思う名君であった用随公は、今後の稲作の事を、領民と共に思い悩みました。

それからしばらくして、用随公は、大阪での会議で隣り合わせた豊国の国(現在の大分県)の領主松平市正に、領内の窮状を相談したところ、市正は「ほう、それはお困りじゃやな。では、余の領内の豊後の藺草を植えたらどうじゃ。これは、塩に強いということでな」と言い、国元から琉球藺の苗を取り寄せてくれました。大いに喜んだ用随公はこれを持ち帰り、領内の田に植えさせました。

これが浜名湖岸一帯の名産物、琉球藺の始まりです。その後、琉球藺は周辺の各村に広まり藺草を使った畳表の製織は冬の農家の副業としてこの地方を潤しました。

この藺草神社は、藺草をこの地方に初めて広めてくれた用随公の徳をたたえて造られたものです。

(境内案内板より)

 

気賀のまちは東海道の脇街道(本坂通)、通称『姫街道』沿いに位置し、奥浜名湖の湖畔にあることから湖北地区の交易の中心でした。

 

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近藤縫殿助用随とは?

 

気賀は宝永4年の大震災で海水につかり、米などの作物が採れなくなってしまいます。そこで、宝暦2年江戸から領地の遠江(とおとうみ/静岡県西)の気賀にうつっていた旗本近藤貞用(さだもち)の次男・近藤縫殿助用随は、大地震でうけた被害からの復興につとめたそうです。

 

また、案内板でも説明されているように、大阪で聞いた塩に強いという豊後特産の琉球藺を持ち帰り、領内の田に植えて移植に成功します。

 

のちに、この琉球井藺をあんだ畳表が「遠州表」として知られるようになり、畳表の製織は冬の農家の副業としてこの地方を潤し、気賀の人々に感謝された人物です。

 

正徳5年(1715年)生まれ、天明元年(1781年)死去。67歳。江戸出身で通称は縫殿助(ぬいどののすけ)。

 

七島藺(しちとうい/琉球藺/三角藺)

 

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『琉球藺』を栽培しているスペース(冬は枯れています)、案内板

 

琉球藺の原産地は薩南の七島、琉球地方で、七島藺(しちとうい)というカヤツリグサ科の多年草のことのようです。

 

畳表の原料として知られ、茎は横走する太い根茎から出て、高さ1m~1.5m以上となるが、太さはせいぜい4mm程度でフトイのようにしっかりしていないとのこと。花茎の断面は鋭い三角形で節がなく、根本近くでは角が鈍くなってやや円形になります。

 

基部には葉鞘に退化した葉が2、3個つき、鞘がよく発達して30cmにも達するが葉身はほとんどありません。夏から秋に茎頂に花序を生じ、花序はよく枝分かれ、枝の先端に花穂をつけ密に小穂を生じます。小穂は細長く棒状、長さ1~3cm、幅は1~1.5mm、藁色です。

 

夏から秋に刈り取って2つに割って乾かし、畳表、筵(むしろ/わらや藺草などで編んだ簡素な敷物)など、種々の生活分野にわたって利用されました。(境内案内板より)

一方藺草(いぐさ)はイグサ科に属し茎が円形で、こちらも畳表に利用されています。

 

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境内社

 

『細江神社』には、この『藺草神社』の他にも境内社がいくつも並んでいます。

順番にお参りしていくと、どんな願い事でもなんとかなりそうな気がしてくるから不思議です。これが神社の持つ神秘的な力のおかげでしょうか?では、東側から順番にお参りしていきましょうか?

 

八柱神社

 

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八名の神様が祀られている『八柱神社』

 

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鍬大神宮 御祭神大年神(おおとしのかみ)

 

四所神社

 

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『四所神社』の鳥居、本堂

 

天王稲荷神社

 

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お稲荷さんの目印「赤い旗」がたなびく『天王稲荷神社』

 

細江天満宮

 

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『細江天満宮』の鳥居と本堂

 

八幡神社

 

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第15代天皇応神天皇を祀っている『八幡神社』

 

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『八幡神社』の扁額と、『細江神社』北側の鳥居(姫街道歴史民俗資料館側)

 

犬くぐり道

 

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細江神社北側の『犬くぐりの道』

 

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『犬くぐり道』の案内板と、『練武城跡?』の石碑

 

細江神社・藺草神社の裏手(北側)には、気賀関所があった江戸時代の『犬くぐり道』という農民の抜け道が残されています。

 

「入鉄砲と出女」を厳しく取り締まった気賀関所は地元の住民でさえも通行手形が必要で、夕方6時~朝6時まで門が閉じられ、農民たちは大変不便だったそうです。そこで、「犬くぐり」と呼ばれる抜け道を設け、人は犬として通ることが黙認されたといわれます。

 

農民たちは道の途中に筵(むしろ)を1枚垂らし「人は通れないが犬なら良い」と人は筵の下を四つん這いでくぐったという『犬くぐり道』。けっこう洒落がきいていて、関所は厳しい所だけども・・・・というゆるい感じがいい感じです。

 

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最後に

 

先回お参りした『細江神社』の境内にある『藺草神社』は、現在もそろそろと騒がれている『南海トラフ大地震』のような大きな宝暦4年の大地震の際、塩害で苦しむ浜名湖岸の人々のため、復興を頑張ってくれた気賀六代近藤縫殿助用随を讃えて造られたという神社でした。

 

南海トラフの巨大地震について、やれ「マグニチュード8~9クラスの地震が30年以内の発生確率は70~80%%だぞ」とか、「最悪の場合死者は32万人を超えるぞ!」とか。静岡県から宮崎県にかけて発生するとのことで、浜松市民である私もここまで何年の間「来るぞ!来るぞ!」と脅かされていたことでしょう。

 

とにかく、避難用品は2つのリュックにまとめていますし、家で待機する場合の水や食料品はローリングストックし、緊急用トイレも用意しています。さらに、車上で非難することも想定し、車用の避難用品もバッグにまとめて常時車載しています。

 

もう「来るならいつでも来い!」という感情ですが、それでも週末になると神社やお寺さんに「世界平和」をお祈りしてしまうのは気が小さいからでしょうか?

 

私のように気が小さい方なら『藺草神社』のある『細江神社』は地震の厄除けの神社ですから、まず細江神社に地震の被害を小さくしていただくようお参り、続いて境内の藺草神社にも「もし大地震がきても復興の道が開けますように!」とお願いしてみるのはいかがでしょう。少し心のザワザワが収まるかも!?です。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。

 


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