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500年以上の歴史を刻む遠江の神社『細江神社』のはじまりに迫る

こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
今回訪ねた遠江の神社は、静岡県浜松市浜名区細江町気賀にある500年以上の歴史があるという古社『細江神社』です。

 

この『細江神社』は古くは『牛頭天王社』と呼ばれ、今も地元の人々から「気賀の天王さま」と呼ばれ親しまれ”地震の厄除けの神様”として人気があると聞きます。

 

『細江神社』の由緒は非常に珍しく、浜名湖と海がつながった「明応の大地震」にあります。というのも、現在「新居関所」がある浜名郡新居町にあった『角避比古神社(つのさくひこ)』から流れ着いた御神体を祀ったのがこの『細江神社』の始まりなんです。

 

『細江神社』の参道から境内は樹齢数百年以上もありそうな大木が立ち並び、うっそうとした鎮守の森が続いていてとても心が落ち着く感じです。中でも「夫婦楠」は存在感があります。

 

また、遠江のいたるところには数多くの様々な伝承が残されているのは御存じかと思いますが、もちろんこちらの『細江神社』にも、昔、ここのクスノキを縄張りとしていた大蛇と大コウモリが、木の主を争ったという『大蛇と大蝙蝠の戦い』の伝承が残されていました。

 

では、さっそく鳥居をくぐり、うっそうとした参道を進み建速素盞嗚尊(タケハヤスサノオノミコト)、奇稲田姫命(クシナダヒメノミコト)をお祀りする『細江神社』をお参りしていきましょう。

 

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500年以上の歴史を刻む『細江神社』の鳥居

 

 

細江神社

 

 

場所:浜松市浜名区細江町気賀996

 

《アクセス》

 

電車・バス:JR[浜松駅]北口バスターミナル⑮乗り場から[気賀行き]のバスで約60分[国民宿舎入り口]バス停で下車、徒歩約2分

車:東名高速道路[浜松西IC]または[三ケ日IC]から約20分
  新東名高速道路[浜松いなさIC]から約20分

駐車場:約15台駐車できる参拝者用の無料駐車場があります※入り口は狭いので注意が必要です。

トイレ:駐車場付近にあります

御朱印:社務所でいただけます

 

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『細江神社』の御朱印

 

『細江神社』の御由緒

 

先ほども触れましたように『角避比古神社』の御神体素盞嗚尊は明応大地震・大津波のため度々起こる地震のため何度も浮遊するのです。

 

この大地震と大津波の影響で淡水湖だった浜名湖は、外海との境が陥没し、現在の今切口ができて汽水湖になるほどの影響を受けたのです。

 

『角避比古神社』は当時から立派な神社で浜名湖入口の守護神として厚く信仰されていましたが、1498年(明応7年)8月25日の「明応の大地震・大津波」で「社殿」などが流されてしまいます。ところが、『角避比古神社』の御神体は、その後度々起こる地震のため何度も浮遊しているのです。

 

細江神社の社伝によれば村櫛(現 浜松市西区村櫛町)へ漂着し、そこに仮宮が設けられます。それも永正6年(1509年)に津波により流され、御神体は気賀郷の赤池に漂着し、そこに仮宮が設けられました。

 

気賀の里の人々に尊まれて御仮屋に守られていた御神体は、翌1510年に漂着した場所から西北に300mほど離れた地に新しく建てられた社殿に移され、気賀の総氏神様として祀られたそうで、これが『細江神社』の始まりとされています。

 

このように細江神社の社伝によれば『角避比古神社』の御神体素盞嗚尊は、最終的に運よくここ気賀上村の赤池の地にたどり着いて里の人々のおかげで新しい社殿に移り、「牛頭天王社」と称し気賀の郷の総氏神様としてお祀りされたいう、本当に運のよい御神体だったことがわかります。

 

そんなことから、この『細江神社』は、現在も”地震の厄除けの神社”としての信仰があるとのことです。

 

ところが、ウイキペディアによると、実は他にも湖西市新居町新居にも往古は『角避比古神社』として、延喜式浜名五座の一社であったという神社があります。それが『湊神社』です。

 

『湊神社』の社伝では、往古は『角避比古神社』だった?

 

現在湖西市新居町新居1788にある「みなとさま」の通称で親しまれる創建不詳の『湊神社』の社伝では、往古は『角避比古神社』として、延喜式浜名五座の一社であり、数度の天災で三度の遷座の末に1708年(宝永5年)にこの地に遷座したと伝えています。

 

1628年(寛永5年)、「社」がこの地湊にあることから湊の開閉を守る湊神社として、新居の地に遷座したとされているようで、明治3年有栖川宮の御祈願所となり、御信号、御額、御紋章付提灯を寄付されたと伝わります。

 

『諏訪神社』が『角避比古神社』と比定するの?

 

さらに、『諏訪神社』が『角避比古神社』に比定するという説もあるようが、式内の『猪鼻湖神社』の後裔社とする説が有力のようで、『諏訪神社』でもそのように称しているそうなので、折りをみて『湊神社』、『諏訪神社』も訪ねてみたいと思っています。

 

いやいや『角避彦神社』だよ?

 

また、角避比古命(つのさくひこのみこと)が祭神として祀られている『角避比古神社』が湖西市新居町新居9にあるといいます。『角避比古神社』は、遠江国浜名郡にあった神社で、延喜式神名帳では遠江国で2つだけの大社の一つであり、名神大社に列しているとされています。明治4年に『角避彦神社』として国幣中社に列せられたといいます。

 

そして、結局、論社のどれが「角避比古神社」であるかを特定することができず、結局「鎮座地不明」として社格が除かれたそうです。

 

『特選神名牒』には「角避比古神は津の幸彦の神にして、湖口の開塞を知りて民の幸福を知ります神と云義にて、実は水門の功徳を称へ奉れる御名ならん」と記されている。元は浜名湖口の現在の湖西市側に鎮座していたが、明応7年(1498年)8月25日のマグニチュード8.2以上の大地震が太平洋沿岸を襲い、これをきっかけに浜名湖の南岸が崩れてなくなり、遠州灘とつながった。この時の大津波で流出した。

 

こういう説明があるのに、旧浜名郡内にこの『角避比古神社』という名前の神社が現存しないということから、現在、以下の3つの神社が論社とされているそうです。

 

細江神社(浜松市北区細江町気賀996、旧郷社、祭神 建速素盞嗚尊・奇稻田姫尊)
湊神社(湖西市新居町新居1788、祭神 須佐之男命)
諏訪神社(湖西市新居町新居1379、旧郷社、祭神 建御名方命・八坂刀賣命)

引用元:角避比古神社 - Wikipedia

 

こうなると、いったいどうなっているの?という感じですが、歴史は探るよりも知るのが楽しいものです。勝手に想像して楽しみましょう。『角避比古神社』がいくつもあるのは、それだけ地震がすごかった証拠ですし、これほどの伝承が残る”地震の厄除けの神様”があちこちにいたら心強いじゃありませんか?

 

話を元に戻して、さっそく駐車場に車を留めてお参りしていきましょう。駐車場は境内にある感じですので、まずは大木が多い参道を抜け鳥居をくぐるところから始めましょう。

 

道路沿いの鳥居から参道

 

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姫街道沿いの『鳥居』と、鳥居からすぐ右側にある『浄水井の跡』の石碑

 

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参道の『市神社』をお参りして参道を進めます

 

参道の途中には縁結びをお願いしたい『夫婦楠』があります。

 

御神木の『夫婦楠』

 

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細江神社の御神木『夫婦楠』と、御神木の案内板

 

御神木とされる『夫婦楠』を2本の楠をつなぐしめ縄に目を奪われます。案内板によると”幼木の時代から二本そろって約5百年の間、この細江町を見守って来た夫婦楠”とのこと。縁結びをお願いしたい方にはぴったりの夫婦楠ではないでしょうか。

 

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さらに、参道を進めると境内鳥居が見えてきます。(1988年)昭和63年に設置された細江町教育員会による歴史を感じさせる案内板がありました。

 

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境内鳥居と、細江神社案内板

 

細江神社社叢・楠

昭和19年5月1日指定

明応7年(1499年)の大地震による大津波で浜名湖の湖口を守る神として、荒井(新居)の里に祭られていた、角避比古神社の御神体の素盞嗚尊が、気賀上村の赤池の地に漂着したといわれる。

人々は初め赤池の北90m程のところに仮屋を建て祭っていたが、永正7年(1510年)この地に社殿を建てて祭った。社叢には、この時以来数百年の年輪を重ねた、根回り18mもある楠が林立し、歴史の変遷を静かに見守っている。また、天台烏薬、亜熱帯性植物が群生している。

昭和63年3月20日 細江町教育員会

(境内案内板より)

 

境内の駐車場内に『はじめ人間ギャートルズ』に登場しそうな大きな切り株があります。

 

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御神木

手水舎で身を祓い清めて進めると『百度石』があります。そして、拝殿・本殿です。

 

拝殿・本殿

 

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細江神社『拝殿』・『本殿』と、直筆の掲示板

 

御神木の大楠

 

今回お参りに訪ねた『細江神社』にも、昔、ここの大楠を縄張りとしていた大蛇と大コウモリが木の主を争ったという『大蛇と大蝙蝠の戦い』の伝承が残され、今も血の跡が残っている大穴があるという『御神木の大楠』をみていきましょう。

 

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蛇と大蝙蝠の戦いの伝承が残る細江神社の『御神木の大楠』

 

大蛇と大蝙蝠の戦い

 

昔、この大楠を縄張りとしていた大蛇と大コウモリが、木の主を争ったというお話で、三日三晩あらそい、最後は共倒れしてしまったそうです。

「むかし話」 大蛇と大蝙蝠の戦い

むかしむかしの話ですが、このクスノキの大穴の中で大蛇と大蝙蝠が「このクスノキの主(あるじ)はおれだ・・・」とたがいに言いはりました。

そのために大蛇と大蝙蝠はしだいになかがわるくなり、ついにおおげんかとなってしまいました。

大蛇は長い体で大蝙蝠をぐるぐる強く巻きつけ、大蝙蝠も負けてはいません。するどいキバで大蛇のからだに食いつき、この戦いは三日三晩つづいたと言はれています。

大蛇も大蝙蝠も血だらけになり、ついに力がつきはててしまいました。クスノキの空洞の中にはそのときに流したと思われる血のあとがあります。(静岡県「子どもむかし話にのっています)  細江神社々務所

(案内版より)

 

この案内板によると、今でも空洞の中には戦いの血の跡が残っているとのことで、思わず覗きこみましたが暗くて様子がよくわからず、ただこれくらいの広さの大穴がある珍しい楠ですから、リビングとして利用する双方には争う価値があったのかも⁉と感じました。

 

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ウイキペディアによれば、中国では蝙蝠の[蝠]の字が「福」に通じることから、幸福を招く縁起物とされています。百年以上生きたネズミがコウモリになるという伝承も残されていますし、長寿のシンボルとされているそうです。

 

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最後に

 

今回は、500年以上の歴史がある古社『細江神社』をお参りしてきました。まず一番に感じたのは、かなりの樹齢であろう楠が高々とそびえ、うっそうとした鎮守の森の中にあるお社で落ち着くわーということ。

 

さらに、この神社はきっと地元の方々に愛されているんだろうなと感じる案内板が、倒れてしまった大木の切り株や、御神木の大楠など多くの場所で見られました。というのも、案内板には手作り感のある文字や、子供たちへのやさしいフリガナがあふれていたんです。いいなーって感じました。

 

ネットの案内に書かれた”『細江神社』は古くは『牛頭天王社』と呼ばれ、今も地元の人々から「気賀の天王さま」と呼ばれ親しまれている”は間違いないです。

 

今年は年始から”地震の厄除け”と聞く神社を数多くお参りしていますが、そのような方も多いのではないでしょうか?この頃は、誰もが自然災害や戦争などの不安材料が増えたと感じているのでは?

 

まあ、あまり不安がらずにいつも通りに笑って過ごすことにしていますが、やはりことあるごとに世界平和を祈らずにはいられません。

 

実はこの『細江神社』のお隣には、江戸時代の大地震の際、気賀の領主だった近藤氏が民を助けた名君ぶりを讃えた『藺草神社(いぐさじんじゃ)』がありますし、立派な末社がいくつもあります。

 

なんとなく細江神社のはじまりにこだわっていたら、少し長くなってしまったので、次回は『藺草神社』から始めたいと思います。

 

また、この『細江神社』のすぐ隣には「浜松市 姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」、神社裏には「犬くぐり道」、周辺には「獄門畷供養塔」に「気賀関所跡」と、多くの歴史好きが訪れたいと思うであろう風景が数多く残されています。こちらも徐々に記事にしていきたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。

 


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