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Channel: sannigoのアラ還日記
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『旧俊光将軍社』は有玉伝説での坂上田村麻呂の子である「俊光」を最初に祀ったとされる

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こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回参拝に訪れた遠江の神社は、浜松市中央区有玉西町に鎮座する『旧俊光将軍社』です。

 

有玉といえば、これまでも「有玉神社」に合祀されている「俊光将軍社」や「白華寺」、「椎ヶ脇神社」などの記事に登場する坂上田村麻呂の有玉伝説が残され、有玉という地名とは切っても切れない関係だと思っています。

 

こちらのサイトで何度も登場している田村麻呂の有玉伝説とは、簡単に言うと「坂上田村麻呂」という蝦夷討伐で知られる武将がここ浜松で出会った美しい姫(実は大蛇の化身)との間に残された伝説です。

 

田村麻呂と美しい姫との間に産まれたのが「俊光(しゅんこう)」という武将で、この武将が死後祀られた場所が『旧俊光将軍社』になります。現在も有玉神社に合祀される『俊光将軍社』と同じように大切に祀られているようで、とても清潔感のある空間でした。

 

『旧俊光将軍社』

 

 

旧俊光将軍社

 

 

鎮座地:浜松市中央区有玉西町431

 

《アクセス》

 

電車・バス:[浜松駅]から遠鉄バス[サンストリート行]で約22分乗車、[有玉西バス停]下車、徒歩約7分

      [新浜松駅]から遠鉄電車[自動車学校前駅]下車、徒歩約22分

車:東名高速道路[三方原スマートIC]から約2分

駐車場:ありません

御朱印:不明

 

『旧俊光将軍社』をくわしく

 

旧俊光将軍社前の歌碑と、祠

 

有玉伝説によるとこの坂上田村麻呂と大蛇の化身との間に生まれたとされる俊光(しゅんこう)はその後成人し、俊光将軍といわれる武将になり再び父である田村麻呂と子である俊光が東征の命を受けこの地を訪れます。

 

その時、磐田の海が大荒れで困り果てますが、母親である大蛇の化身から授かった「潮干の珠」を投げ入れます。すると、荒れた海はスーッと引いて底に広い平野が現れたそうです。この平野にやがて人が住むようになり村が出来て、現在の有玉という地名につながっているとのこと。

 

その後のある年、毎夜東の方に美しく輝く光が見られるようになり、不思議に思った村人がその光を探すと、そこに一個の珠があったそうです。その珠を祭ったのが『有玉神社』だといわれています。

 

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俊光将軍は死後ここの「旧俊光将軍社」に祀られたといわれています。現在は有玉神社に合祀されてはいますが、こちらにも「俊光将軍社」の祠が今も残っています。

 

実はお隣というかもしかして敷地内かもしれないですが、ちょっとしたリゾートホテル?になっていますので、少し分かりずらいというか、探しにくいという理由で田村麻呂の伝承が残る大切な聖地ながら、訪ねるのが遅くなってしまったことをお詫びします。

 

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有玉伝説とは?

 

歴史を感じる手水鉢と石塔

 

有玉神社の伝説
昔、天竜川河口近くに三千年を経るという赤大蛇が住んでいた。
坂上田村麿将軍が東征でこの地を訪れた時、美女に化けた赤大蛇と恋仲になり2人の間に子供が出来た。美女は将軍に子供を産むところを絶対見ないと約束させ、赤大蛇になって産む。しかし、将軍は思わず赤大蛇が子供を産むところを見てしまう。赤大蛇は将軍に子供を託し、川の底に戻ってしまう。
この子は成人し、俊光将軍といわれる武将になり再び父子で東征の命を受けこの地を訪れる。
その時、磐田の海が大荒れで困り果てるが、親(赤大蛇)から授かった「潮干の珠」を投げ入れると、荒れた海はスーッと引いて底に広い平野が現れた。この平野にやがて人が住み村が出来た。
ある年、毎夜東の方に美しく輝く光が見られるようになった。村人がその光を探すと、そこに一個の珠があった。その珠を祭ったのが有玉神社だといわれる。

(有玉神社ホームページより)

 

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まとめ

 

2025年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。ということで、元旦にはすでにおせち料理を食べつくした我が家、ケンタッキーのおせちを買うべく重い腰を上げていつもお世話になっている近所の神社をいくつか初詣させていただきました。

 

そこで、ふと有玉伝説に登場する坂上田村麻呂と大蛇の化身との間に生まれた『俊光将軍』のことを思いだし、確か俊光氏が亡くなってすぐに祀られた場所があったはずと、以前たどり着けなかった『旧俊光将軍社』の記憶を呼び戻し、ついに参拝させていただくことができました。

 

実際に俊光将軍というものが存在したという記録はないようですが、それでも有玉という地名のいわれにもなっている坂上田村麻呂にかかわる伝説で生まれた武将です。すごく身近に感じていますので、これからは頻繁に参拝に伺いたいなと思っています。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。

 


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