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Channel: sannigoのアラ還日記
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謎の多い天白信仰を求めての神社巡り③磐田市森下に鎮座する『磐田若宮八幡宮』

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こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回の「謎の多い天白信仰を求めての神社巡り」では、磐田市森下に鎮座する『磐田若宮八幡宮』通称[郷社]を参拝(2024年3月9日)させていただきました。

 

興味深いのはこちらの郷社拝殿裏には多くの摂社・境内社が祀られており、境内社の中に「天白神社」が鎮座していることです。

 

相撲の郷社と呼ばれる『磐田若宮八幡宮』の広い境内には、屋根付きの土俵があり初めての参拝だとびっくりします。地元の友人に例大祭には奉納相撲が行われることで有名だと聞きました。

 

実はこの奉納相撲の歴史は古く、池田の『天白神社』に力自慢が集まり、天竜川を境に東西に分かれ、翌年の田植えで優先的に田んぼに水を引く権利をかけての奉納相撲が行われ「池田の相撲喧嘩」としてよく知られていたとのことです。

 

磐田若宮八幡宮の『拝殿』

 

 

磐田若宮八幡宮

 

 


鎮座地:静岡県磐田市森下699

 

《アクセス》

 

電車・バス:JR[豊田町駅]から徒歩約15分 

車:東名高速道路[磐田IC]より約15分 
  東名高速道路[遠州豊田スマートIC]より約10分

駐車場:神社入口の左側(西側)にある道路を進み突き当りを右折した先の境内に数台駐車することができるようです

御朱印:いただけます。日曜午後2:00~授与所が開くことが多いようです

 

御由緒

 

鳥居と鳥居造営記念の石碑

 

1873年(明治6年)3月に郷社に列せられた『若宮八幡宮』の創立年度は不明ですが、往古より豊田郡中嶋村に鎮座していた氏神様を不便な土地だったため、東海道に添った森下神明神社の境内に遷座しました。

 

1874年(明治7年)の一区一郷に村社を置くことになり、近隣29ヶ村の神社が合祀され、社殿を新築して「若宮八幡宮」となりました。

 

現在の社殿は1974年(昭和49年)に改築され、広い境内の社殿裏にはたくさんの摂社・境内社が鎮座していて目を見張ります。この多くの境内社の中に「天白神社」が鎮座しています。

 

1874年(明治7年)の近隣29ヶ村の神社が合祀されたときから、こちらの地に鎮座しているのでしょうか?やはり、場所的に天竜川に近い場所ということで海や川を鎮める神として信仰されていたのではないでしょうか?

 

若宮八幡宮で例祭におこなわれる「奉納相撲」は、天竜川の水争いとしての歴史を持つことで有名です。

 

江戸時代に天竜川東岸のすぐ近くに鎮座する池田の『天白神社』に力自慢が集まり、天竜川を境に東西対抗の奉納相撲が行われ、「池田(郷社)の相撲喧嘩」としてよく知られていました。

 

明治になりこの伝統を郷社若宮八幡宮が引き継ぎ、こちらで奉納相撲がおこなわれるようになったそうです。

 

由緒
若宮八幡宮
静岡県磐田郡森下699番地
一、祭神
大雀命(オオササギノミコト/仁德天皇)
誉田別命(ホンダワケノミコト/応神天皇)
息長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト/神功皇后)
一、由緒
明治七年一区一郷に村社設置のお達しがあり当時浜松县第二大区第三小区内二十九ヶ村の神社を合祀して郷社若宮八幡宮と称した
一、大祭
十月 十五日、十六日
恒例により角力の行事あり 以上

(境内由緒書より)

 

御祭神

 

参道と藤棚

 

大雀命(オオサザキノミコト/仁徳天皇)

誉田別命(ホンダワケノミコト/応神天皇)

息長足姫命(オキナガタライヒメノミコト/神功皇后)

 

例大祭

10月第2土曜・日曜日

 

磐田若宮八幡宮の奉納相撲

 

屋根付きの土俵、広い境内

 

例大祭に行われる『磐田若宮八幡宮』の「奉納相撲」には、天竜川を挟んで東西に分かれ、翌年の田植えで優先的に田んぼに水を引く権利をかけて勝負していた天竜川の水争いとしての古い歴史があります。

 

現在は治水が進んだおかげでこうした風習は忘れられたかのようで、選手たちの交流の場となっていると聞きます。また、ここ数年は「わんぱく相撲磐田場所」として市内の3歳児から小学6年生までの児童たちが参加して行われているそうです。

 

狛犬

 

阿吽の狛犬

 

拝殿

 

拝殿と扁額

 

1874年(明治7年)、近隣28村の神社が合祀され、社殿を新築し「若宮八幡宮」となりました。現社殿は昭和49年(1974年)に改築されたそうです。

 

摂社・境内社

 

拝殿左横の入口から境内社がズラリと並んでいます

 

拝殿左横の入口から奥に入ると『境内社』がズラリと並んでいます。この境内社の中の一つが『天白神社』です。

 

おそらく1874年(明治7年)の近隣29ヶ村の神社が合祀されたときから、こちらの地に鎮座しているのでしょう。やはり、場所的に天竜川に近い場所ということで海や川を鎮める神として信仰されていたのではないでしょうか?

 

境内社一覧


①子安神社(七蔵新田)
②松尾神社(下万能)
③松尾神社(下本郷)
④八幡宮(平間)
⑤八幡宮(上新谷)
⑥須賀神社(上本郷)
⑦坂本神社(海老塚・笹原島)
⑧松尾神社(赤池)
⑨水神社(森下)
⑩九社神社(宮本)
⑪水神社(森田)
⑫須賀神社(小立野)
⑬天白神社(堀之内)
⑭田中神社(池田)
⑮神明宮社(高木)
⑯若栗神社(気子島)
⑰天神社(森本)
⑱諏訪神社(立野)
⑲諏訪神社(上万能)
⑳河東神社(弥藤太島)
㉑千葉神社(松本)
㉒八幡宮社(一言)
㉓若一王子社(中田)

 

西之島学校の跡地

 

西之島学校跡と、御神木

 

参道の途中には遠州の三大学校と言われた『西之島学校』があった場所が残されています。

 

西之島学校


1875年(明治8年)、熊谷敬三(くまがいけいぞう/青城)の尽力によって、若宮八幡宮境内に三階建の洋風木造校舎が新築されました。この洋風校舎は見付学校、坊中学校とともに遠州三大学校の一つとして評判になりました。西之島学校設立に尽力した熊谷敬三の名は、磐田市立青城小学校の校名に残されています。

 

まとめ

 

今回は2024年の春に参拝させていただいた磐田市森下に鎮座する『磐田若宮八幡宮』を記事にさせていただきました。

 

現在謎の多い天白信仰を求めての神社巡りに最中ではございますが、実は天白信仰を知るより前に参拝に訪れた神社の中に、摂社・境内社として「天白神社」が鎮座していたことに気づきました。

 

そこで、急遽「屋根付きの土俵があり、奉納相撲で知られる『磐田若宮八幡宮』にも、堀之内に鎮座していた「天白神社」がお祀りされていたことを思いだし、きっと天竜川が近く海や川を鎮める神として信仰されていたのではないかと推察しているところです。

 

やはり天白信仰が広まっていた分布を残したい思いもあり、今回『磐田若宮八幡宮』を記事にさせていただいたことをお許しいただければ幸いです。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。

 

 


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