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Channel: sannigoのアラ還日記
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「穂国」の「穂」である本宮山に鎮座する神を迎え創建した里の社殿『砥鹿神社 里宮』

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こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回の徳川家康ゆかりの神社は、愛知県豊川市に鎮座する三河一之宮の『砥鹿神社里宮』です。

 

戦国時代の永禄年間、砥鹿神社付近に徳川家康の命を受けた本多信俊が一宮砦を構えて今川軍に包囲されたところに、家康が寡勢で救援に駆けつけ多勢の今川軍を蹴散らし、こちらの『砥鹿神社』に宿陣したとも伝わります。また1602年(慶長7年)には、家康より朱印領として百石の寄進を受けたといいます。

 

背の高い欅や楠の木々が茂る鎮守の杜は、日頃何かと煩わしい暮らしの中で忘れてしまいそうな呼吸をしっかりした正しいものに変えてくれそうな神社です。

 

また、特記しておきたいのが、石座神社(いわくらじんじゃ/愛知県新城市大宮字狐塚14)にも境内社として鎮座していた『アラハバキ神社』、こちらにも鎮座しています。やはり縄文時代から連綿と信仰され続けたアラハバキ神が祀られていた場所が付近にあったのではないでしょうか?

 

ということで、家康公ゆかりの神社であり、私自身が最近はまっていて興味津々の謎多き土着神アラハバキも末社として祀られている『砥鹿神社』を深堀りしていきたいと思います。

 

本宮山山頂の社「奥宮」と、山麓の社「里宮」一体で崇敬を集める『砥鹿神社』ですが、今回は『里宮本社』について記していきます。

 

「穂国」の「穂」である本宮山に鎮座する神を迎え創建した里の社殿『砥鹿神社 里宮』

 

 

砥鹿神社里宮本社(三河一之宮)

 

 

鎮座地:愛知県豊川市一宮町西垣内2

 

《アクセス》

 

電車・バス:JR[豊橋駅]から豊鉄バスで[砥鹿神社]バス停から徒歩約2分
      JR飯田線[三河一宮駅]から徒歩約8分

車:新東名[新城IC]東へ約3.5km 約5分
  東名[豊川IC]から約1km、約5分
駐車場:駐車場は表門に約30台、西門に約170台分あります(無料)

御朱印:『客殿』でいただけます

 

三河一之宮『砥鹿神社 里宮』の御朱印

 

砥鹿神社の歴史

 

本宮山頂上のテレビ塔と本宮山頂駐車場の「迷い人に道を教える像」

 

東三河地方が「穂国(ほのくに)と呼ばれていたのは、701年に文武(もんむ)天皇の命によって編纂が進められていた「大宝律令」が完成し、律令国家が完成される以前のことです。

 

「穂国」の「穂」の由来は東三河各地域から眺めることのできるシンボルとしての本宮山、本坂峠は穂の境の峠の意味で穂国へ入る峠であるとされていました。

 

この本宮山(豊川市・岡崎市・新城市の境、海抜789メートル)に鎮座する神を迎え山麓に創建した里の社殿を『里宮』(豊川市一宮町西垣内)、山頂の社を『奥宮』(豊川市上長山町本宮下)と称して二所一体の崇敬を集めているのが『砥鹿神社』です。

 

御祭神

 

大己貴命(オオナムチノミコト)=大国主神

 

神代日本の国造りをされた神で大黒様と言われる神、福徳の神、国土開拓の神、縁結びの神として崇敬を集めます。また、交通安全、家運降昌、厄難消除等の御神徳は三河地方をはじめ各方面からの篤い崇敬を集めています。

 

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創建

 

社記1574年(天正2年)の「三河国一宮砥鹿大菩薩御縁起」には、大宝年間(701年~704年)文武(もんむ)天皇の時に天皇の病を鎮めるための勅使として草鹿砥公宣(くさかどのきんのぶ)が「煙巌山(えんござん)」に派遣されるとあります。

 

派遣された公宣が三河の山中において道に迷うのですが、この時現れた老翁(ろうおう)の導きで無事祈願を果たし、天皇の病も平癒されたといいます。

 

公宣は再び三河国本茂山(本宮山)に入って老翁と面会し、その望みにより本茂山(本宮山)の神を迎えて山麓に里居を創建されることになった記されているとのこと。

 

現在も『砥鹿神社』奥宮が鎮座する本宮山は、東三河地方では中心的な孤峰で、山中には磐座(いわくら)、山麓には古墳群の分布が知られています。これらのことから、古代から山自体を御神体として信仰する山岳信仰の対象であったと考えられているようです。

 

また創建の伝承に登場する草鹿砥氏は砥鹿神社の旧社家で、草鹿砥氏は穂別の後裔といわれ、かつてこの辺り一帯を治めたとされる穂国造(ほのくにのみやつこ・ほこくぞう/穂国(三河国東部東三河)を支配した国造)により奉斎されたとする説もあります。

 

では、さっそく広い駐車場に車を停めさせていただいて、お参りしていきましょう。本来は『表神門』が正式参拝の境内の入口だそうですが、まずは、大通りからも見える西参道の入口にある石の大きな鳥居から見ていきましょう。

 

西参道石鳥居(西大鳥居)

 

『西大鳥居』の裏と表

 

『西大鳥居』の説明板と、鳥居に見られる数カ所の欠損(空襲で被弾した跡)

 

説明板によると。この本宮山山頂の砥鹿神社奥宮の遥拝所として1842年に建てられた鳥居ですが、浜松住まいの私でも聞いたことのある豊川の空襲で被災して、現在のこの場所に移転された”かの戦争の爪痕を残す遺構”として価値あるものと知りました。

 

丈夫そうな石の鳥居ですが、何カ所か空襲で被弾した傷が残されており、戦争経験のないアラ還も”かの戦争”を生々しく感じました。

 

この鳥居は、旧市田村(現在の諏訪西町2丁目)にあったもので、本宮山山頂にある砥鹿神社奥宮の遥拝所として1842年(天保13年)に建てられたものです。1945年(昭和20年)8月7日の豊川海軍工廠(かいぐんこうしょう)の空襲で被災し、修理を機として1956年(昭和31年)に現在地へ移転されました。鳥居に見られる数カ所の欠損は、空襲で被弾した跡です。

鳥居に刻まれた銘文によれば、1836年(天保7年)の岡崎藩士の長尾興達(おきみち)が砥鹿神社に石鳥居寄進を発意し、岡崎の石工石原徳褒(とくほう)に命じて1841年(天保12年)に完成させ、神主の草鹿砥亘輝(のぶてる)が一田村と協議して建立の場所を決めたことがわかります。明神鳥居の形式で、石材は花崗岩を用いており、石鳥居としては市内で2番目の大きさ(総高726センチ)です。

本鳥居は近世の本宮山信仰の遺産で、銘文から建立の詳しい経緯が分かること、また豊川海軍工廠の空襲を伝える遺構として価値のあるものです。
       豊川市教育委員会

(鳥居前の説明板より)

 

参道を進めていくと、途中大きな通りと交差していて驚きました。普通に車が走っています、気を付けて横断して西鳥居をくぐります。

 

西鳥居と由緒書き

 

西鳥居、由緒書き

 

右側に大きな結婚式場があります。その向こうに『手水舎』と『西神門』が見えてきます。この辺りには鎮守の杜ともいうべき背の高い木がうっそうとした雰囲気を醸し出しています。

 

手水舎

 

立派な『手水舎』で身を清めましょう

 

西神門

 

『西神門』をくぐります

 

神亀石(しんきせき)

 

『神亀石』に触れて健康を祈願します。長寿はいらないかも⁉

 

古くより「鶴は千年、亀は万年」と言われているように、亀は長寿を象徴する縁起の良い生き物として知られています。この神亀石にふれて、健康と長寿を祈念することができるそうです。

 

お参り前に境内を端まで歩くと、立派な鳥居がまた一つ見えてきました。こちらが本来正式な境内の入口です。

 

表鳥居と表神門

 

以前は表神門の場所にあった歴史ある『表鳥居』、『南神門』

 

拝殿に続くこちらの『表神門』が正式参拝の境内の入口だそうです。どうやら、西神門から境内に入ってしまった私は正式ではなかったみたいですが、広い駐車場が西神門側だったので仕方ないですね。

 

南神門から本殿へと進む途中、西側には『社務所』があります。

 

社務所

 

南神門に飾られた『田原凧』と、レトロな『社務所』

 

レトロな『社務所』は、昭和34年に建てられたそうで歴史を感じさせます。

 

社務所の向かい側には2ヶ所目の『手水舎』があります。手水舎の右奥には『太鼓楼』があり、北へ進むと『砥鹿神社のケヤキ』です。ケヤキの全体像を見るには、奥に回り込む必要があります。なので失礼ながら省略しました。

 

太鼓楼

 

2つ目の『手水舎』と、中が見えない『太鼓楼』

 

最近はあまり見ることがなくなった『太鼓楼』、こちらの太鼓楼は現役で神社の行事には今も使っているそうです。見えないけど、中には太鼓が収納されているみたいです。

 

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続いて、日本一大きいさざれ石があります。世界平和を祈りながら、石に触れさせてもらいました。

 

日本一大きいさざれ石

 

『日本一大きいさざれ石』と『親子なで鹿』

 

君が代に歌われる『さざれ石』、全国にあるさざれ石の中でもとても大きく、高さ2.6m、横幅3.4mの日本一大きい『さざれ石』だそうです。

 

さざれ石は君が代に歌われているように、千代に八千代に年を経て小石が集まり、巌となった貴重な石で、永遠の平和と繁栄を象徴する神霊の宿る石で開運石や子産み石と言われています。

子宝、安産、夫婦円満や幸福を祈って石に触れてください。

(さざれ石横の説明板より

 

砥鹿神社社殿の横には、かわらしいい『親子なで鹿』があります。

 

親子なで鹿

 

親子なで鹿

 

三河国一之宮『砥鹿神社社殿』

 

伝統的木造建築の檜づくり『砥鹿神社』社伝と『扁額』

 

砥鹿神社社殿の左側には摂社の『三河ゑびす社』が鎮座しています。

 

摂社・三河ゑびす社

 

 

三河ゑびす社の拝殿と由緒書き

 

大己貴命の御子神である「智徳の神」事代主命(ことしろぬしのみこと)と「体徳の神」建御名方命(たけみなかたのみこと)を祀る摂社『三河えびす社』。

 

御祭神

事代主命(ことしろぬしのみこと)、建御名方命(たけみなかたのみこと)

 

『ゑびす社』拝殿内のゑびす様

 

摂社の『三河ゑびす社』も、商売繁盛・家業繁栄を祈願し、全国から参拝者が訪れるそうです。

 

末社

 

・本宮山奥宮遥拝所

 

『本宮山奥宮遥拝所』と『守見殿神社(もりみでんじんじゃ)』

 

『本宮山奥宮遥拝所』は、車でも本宮山山頂にある奥宮まで約30分かかるため、こちらの里宮でも大神を拝むことができるようになっているようです。

 

・守見殿神社(もりみでんじんじゃ)

 

『守見殿神社』と、守見殿神社の『ご由緒書き』

 

『守見殿神社』の御祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)の和魂(にぎみたま)、迦久の神(かくのかみ)、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)の三柱です。

 

ご由緒

良縁を結び 幸せを「見守る」三柱の神様

大己貴命の和魂(縁結びの神さま)

砥鹿神社の神様の穏やかな心

優しい想いやりと人の調和と親しみを導いてくれます。

迦久の神(鹿の神さま)

『古事記』・『日本書紀』の古典で神の使いとして活躍した

お願い事は然(しか)と聞き、天上の神様のもとへ運び成就されます

倉稲魂神(食物の神さま)

神名の「ウカ」とは穀物・食物の意味であり「稔り(みのり)」を象徴している神様

(守見殿神社横の説明板より)

 

・八幡宮

御祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと/応神天皇/八幡神)、天児屋根命(あめのこやねのみこと/『古事記』では岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大御神が岩戸を少し開いたときに布刀玉命とともに鏡を差し出した。天孫降臨の際邇邇芸命に随伴し、中臣連の祖となったとされる)です。

 

・八束穂神社(やつかほじんじゃ)

御祭神は、天穂日命(あめのほひのみこと/天照大御神が葦原中国を平定しようと、最初に使者として選んだのが天穂日命、高天原から派遣されたにもかかわらず、大国主神に媚びへつらい三年経っても帰ってこなかったとされ、出雲国造ら七氏族の祖である建比良鳥命の父とされる)

・荒羽々気神社(あらはばきじんじゃ)

御祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと/「古事記」では大国主神(おおくにぬしのかみ)の一名とされる)の荒魂(あらみたま)。

 

※アラハバキという神は、縄文時代から連綿と伝えられているとか、大和朝廷誕生以前から信仰されていたとも言われます。あまりなじみのない神様ですが、御祭神としている神社は全国に150社以上あるといわれているそうです。

また、アラハバキの中の「ハバ」という言葉は大蛇を表す大昔の言葉だったことから、蛇神、もしくは龍神では?とか、出雲系と関わりが深いとされることもあります。

 

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神鹿絵馬殿

 

神鹿絵馬殿

 

最後に

 

今回生まれて初めて参拝のため出かけた『砥鹿神社』里宮は、浜松の我が家から東名高速道路を[豊川IC]まで利用すると、約30分で行けてしまう、ある意味身近な存在なはずの神社です。近くの『豊川稲荷』には数十回と出かけているのに、初めてというのは不思議で仕方ありません。

 

これがご縁というものかもしれません。NHK大河ドラマから徳川家康に興味を持ち、いくつもの「ゆかりの地」を訪ねるうちに、戦国時代以前の古の時代にはまり、現在は旧石器時代~縄文時代~弥生時代に興味津々で、特にミシャクジ信仰・アラハバキというワードに強く引き付けられます。

 

『砥鹿神社』のアラハバキ神社が諏訪のミシャグジ信仰と関連があるとしたら、巨木や巨石に降りてくる大地の精霊がミシャグジで、こちらの『砥鹿神社 奥宮』が鎮座する本宮山には磐座も見られますし、今回訪れた『里宮』同様アラハバキ神社があるのですから、もしかしたら?縄文人が?住んでいた?流れ着いた?とか、素人ながら妄想ばかりしています。

 

もちろん、『里宮』のあとには本宮山山頂の『奥宮』も参拝してきましたので、次回はもっとミシャクジ?アラハバキ?と興味あることに集中した内容の記事が書けるといいなと思っています。体力が持つなら本宮山のハイキングも楽しみたいところだけど・・・。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。

 


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