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木原畷古戦場碑が立ち、徳川家康の御座石が残る『許禰神社』を訪ねて

<PRを含みます>こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回の徳川家康ゆかりの神社は、静岡県袋井市木原の『許禰神社』です。昔、大雨に悩まさていた村を救うため、熊野神社の神の使いが現れ、「神社を作りなさい」と促され『木原権現』(現在の許禰神社)が誕生したという伝承が残される神社で、御祭神は伊弉諾命です。

 

許禰神社には「徳川家康御座石」も残されたおり、家康公がこの宮に参詣したことが証明されていますし、関ヶ原の戦いの勝利を祈願し、心願成就して70石の所領を与えたとの記録も残っているそうです。

 

また、境内には『木原畷古戦場』の石碑が残るように、あの家康公の唯一の負け戦として知られる『三方ヶ原の戦い』の戦いの前、甲斐から信濃へと領地を広げた武田信玄が遠江や三河など徳川領への侵攻を開始し、徳川方の城を次々と落とし本陣を張った場所が木原です。

 

武田信玄を迎え撃つため、徳川勢は浜松城を出て見付に布陣。三ケ野に偵察に出た徳川方と武田方とが小競り合いが起きます。これが「木原畷の戦い」で、その後浜松へ撤退する徳川方とそれを追撃する武田方とが戦火を交えるのが、磐田の『一言坂古戦場』です。

 

では、さっそく家康公とゆかりの深い『許禰神社』を深く知り、じっくりと参拝していきましょう。

 

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青空が映える真夏の『許禰神社』の拝殿

 

 

許禰神社(こねじんじゃ/木原権現社)

 

 

鎮座地:静岡県袋井市木原278

 

《アクセス》


電車・バス:JR[袋井駅]から徒歩35分、JR[御厨駅]から徒歩39分

車:東名高速道路[袋井IC]から約10分

駐車場:許禰神社本殿の西側に公会堂があり、そこに停めさせていただけます

御朱印:書置きを拝殿に用意してくださっています

 

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許禰神社の御朱印

 

許禰神社とは?

 

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許禰神社の御由緒と賽銭箱

 

『許禰神社』は、かつては木原権現者と呼ばれ、古代末期に創建されたと考えられています。許禰神社は古代の神社名帳のなかに見られる神社で、一説には古代の許禰神社が木原権現社になったともいわれています。

 

『許禰神社』は鎌倉時代前からある由緒正しい神社で、創建は近くを流れる河川と深い関係があり、出水に悩まされていた里人の前に熊野権現が出現し、お祀りするようにおっしゃったとのこと。

 

境内には八幡宮や須賀神社なども祀られています。また、東海道53次の中間に位置する地域で、すぐ近くに「旧東海道木原一里塚」や、「木原一里塚跡」も見ることができます。

 

前述しているように袋井市木原にある『許禰神社』(木原権現)の地は、1572年(元亀3年)9月、甲斐から信濃へと領地を広げた武田信玄が、遠江や三河など徳川領への侵攻を開始し、徳川方の城を次々と落とし木原付近に陣を張った場所です。

 

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では、旧東海道沿いにある『許禰神社』境内の鳥居に続く境内入口から、歴史を感じながら参道を進めていきましょう。

 

境内入口の西側に『木原畷古戦場碑』が立っています。その石碑の前には『徳川家康の御座石』が残されています。

 

木原畷古戦場碑と家康公腰掛石

 

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許禰神社入口の西脇に『木原畷古戦場碑』が立ち、『徳川家康の御座石』が残っています

 

木原畷の戦いなどについては以前の記事で解説しています≫

www.sannigo.work

 

『家康公腰掛石』は、家康が会津討伐と関ヶ原の戦いに向かう折にこちらの木原権現社で戦勝を祈願し、その際に腰を下ろしたと伝わる石です。

 

社伝によると、徳川家康は「神徳を賞せらるるよし。台命有て、先規の供領七拾石を以て、社領に付けさせ給ひ」と、70石を寄進したといいます。現在、この社は式内許禰神社と称しています。が、中世には一貫して「権現社」と称していたそうです。

 

定書きとクスノキ

 

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『許禰神社』の”定”書きと御神木の『クスノキ』

 

『許禰神社』の境内には「許禰神社のクスノキ」としての御神木があり、袋井市の名木古木に指定されているそうです。樹齢500年ということですから、この地で起きた武田と徳川の小競り合いなども記憶してるのでしょうか?

 

続いて、『厳島神社』が浮かぶ静かな水面を湛える神池が見えてきます。

 

厳島神社(弁天さま)

 

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池に浮かぶ『厳島神社』

 

こちらの『厳島神社』(弁天さま)の御祭神は宗像三女神(むなかたさんじょしん)の

・「田心姫神(タゴリヒメ)」

・「湍津姫神(タギツヒメ)」

・「市杵島姫神(イチキシマヒメ)」

御神徳は家内安全・縁結び・道を開くと説明板にあります。

 

鳥居をくぐると大きなカエルが登場します。

 

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鳥居をくぐると大きなカエルにびっくりです

 

鳥居をくぐると大きなカエルが登場してびっくりです。脇に「平和50年を六蛙(迎)える」の名碑があります。きっと平和50年を記念して作られたのではないでしょうか?

 

神橋を渡り、神門をくぐり、手水舎で清めてからいよいよ拝殿でお参りです。

 

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神橋を渡ると『神門』、神門をくぐり『手水舎』で手を清めます

 

狛犬

 

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あうんの『狛犬』

 

拝殿・本殿

 

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許禰神社の『拝殿』と、幣殿から続く『本殿』

 

関連記事≫

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摂社・末社

 

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摂社には御祭神などが記されていてありがたいです

 

こちらの『許禰神社』境内には摂社・末社と思われる神社が数多く鎮座しています。それぞれ御祭神も異なるので、古事記・日本書紀などに登場する神様も多く興味深いです。

 

須賀神社(天王社) 御祭神は素盞鳴命(スサノオノミコト/アマテラス・ツキヨミと共に三貴子の一神であり、イザナキの鼻から生まれたとされ、『古事記』『日本書紀』によると、イザナキの命令をきかなかったことから、追放されてしまう神です)

八幡宮 御祭神は多分、誉田別尊(ホンダワケノミコト)、あるいは応神天皇(おうじんてんのう)。

が並んで鎮座しています。

 

右の赤い鳥居が続く先に2つの摂社が鎮座しています。

 

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鳥居が重なる先にも2つの摂社が鎮座しています

 

稲荷神社 御祭神は〇倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)、〇稲荷大明神

住吉神社 御祭神は表筒男命(ウワツツノオ)、中筒男命(ナカツツノオ)、底筒男命(ソコツツノオ)/イザナミの禊で誕生した水の神たち)

居森神社(亥ノ森神社) 御祭神は表筒男命(ウワツツノオ)中筒男命(ナカツツノオ)底筒男命(ソコツツノオ)/イザナミの禊で誕生した水の神

熱田神社 御祭神は草薙劔之御霊(日本武尊/ヤマトタケルノミコト)

神明宮 御祭神は大日孁命(オオヒルメノミコト)(天照大御神の異称)

天満宮(天神社) 御祭神は菅原道真公、中将姫(ちゅうじょうひめ)、吉祥女(きっしょうめ/菅原道真の夫人)

白山神社 御祭神は猿田彦命(サルタヒコノミコト/みちひらきの大神といわれており、日本神話における天孫降臨の際に、天照大神の命を受けた瓊杵尊(ににぎのみこと)を高千穂へと導いたのが猿田彦大神)

天白神社 御祭神は天穂日命(アマノホヒトノミコト/天安河で、素戔嗚尊が天照大神に誓約を行なった際生まれた、五男神中の一神。 出雲臣などの祖神。)

社森神社(社荒神社) 御祭神は十挙剱之霊(とつかのつるぎのみたま)(須佐之男命)

菩比神社 御祭神は天菩比神(アメノホヒノミコト/天安河で、素戔嗚尊が天照大神に誓約を行なった際生まれた、五男神中の一神。 出雲臣などの祖神。)

八面神社(やつおもて) 

御祭神は

 〇天之忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト/天照大神の子で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の父神)

 〇天之菩比能命(アメノホヒノミコト/天照大神の子で天孫降臨に先立って、 葦原 あしはら の中つ国に遣わされたが、大国主命に味方して復命しなかった)

 〇天津日子根命(アマツヒコネノミコト/雨乞いの神、風の神として崇敬されている。 アマテラスとスサノオの誓約の際に天照大御神の玉から生まれた男神5柱のうちの1柱で、多くの氏族の祖とされる)

 〇活津日子根命(イクツヒコネノミコト/スサノオがアマテラスの持ち物である八尺瓊勾玉を譲り受けて化生させた五柱の神の一柱/彦根はむかし天照大神の御子に天津彦根命(あまつひこねのみこと) 、活津彦根命(いきつひこねのみこと)の二神がおられ、このうち活津彦根命が活津彦根明神として彦根山に祭られたことに由来しているとされる)

 〇熊野久須比命(クマノクスビノミコト/スサノオがアマテラスの持ち物である八尺瓊勾玉を譲り受けて化生させた五柱の神の一柱)

 〇多紀理比売命(タキリビメノミコト/アマテラスとスサノオが誓約を交わしたときに、スサノオの剣から化成した三柱の女神)

 〇市寸嶋比売命(イチキシマヒメノミコト/アマテラスとスサノオが誓約を交わしたときに、スサノオの剣から化成した三柱の女神)

 〇多岐都比売命(タギツヒメノミコト/アマテラスとスサノオが誓約を交わしたときに、スサノオの剣から化成した三柱の女神)

 

『許禰神社』が建築関係者の信仰を集める理由

浜松城築城を家康から命じられたのは、倉橋宗三郎(普請奉行)と木原吉次、小川家次(ともに惣奉行)の3人で、中でも中心となったのが木原吉次、440石まで出世し徳川家の大工頭になっています。

 

そして、この木原吉次一族が住んだと伝わるのがここ袋井市木原だそうです。こうしたことから、袋市市木原に鎮座する『許禰神社』が建築関係者からの信仰が厚いということみたいです。

 

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『許禰神社』と熊野山との関係?

社伝には、702年に熊野から熊野権現を勧請し、1082年(永保2年)に社伝を造営した記録が残っているそうです。近世までは神職を鈴木氏(のちに木原姓を称す)がつとめていました。

 

遠江では1159年(平治元年)以降、しばしば熊野新宮を造営する費用をまかなうための国に指定されたため、多数の熊野神社が建てられたそうです。

 

静岡県中で、最も熊野系の寺社が集中しているのが袋井市域であることは知りませんでしたが、袋井が古代末期より和歌山県の熊野山と深い関係にあったことはわかっているそうです。詳しくはこちらから→ 第37回 熊野信仰と袋井1 海の熊野と袋井 - 袋井市立図書館

 

また、こちらには「木原権現由来記」という全長17mもある巻物が残されています。由来記には、「ある日、木原の子どもに熊野の神がのり移り、この地に熊野の神を祭れば洪水を防ぎ、穀物の実りを豊かにするというお告げがあり、天災に苦しんでいた村人は早速に熊野の神を祭った。」これが木原権現社の由来だと記されているそうです。

 

木原に伝わる言い伝え

『許禰神社』が鎮座する袋井市木原には、「許禰神社と熊野神社には幟や鳥居を建てない」という言い伝えが残るという昔ばなしがあります。はてな?どうしてでしょう?

 

中遠昔ばなし

第26話         
木原(きはら)に伝わる昔話(袋井市)

木原の許禰(こね)神社と熊野(くまの)神社には幟(のぼり)や鳥居を建てないという言い伝えがあります。
 昔、昔のことです。大変に仲の良かった木原の許禰神社の神様と土橋(つちはし)の熊野神社の神様は、よくお互いのお宮に遊びにいっていました。
 ある時、木原の神様が土橋の神様のところへ遊びに行きました。帰ろうとした時に鳥居につまづいて怪我(けが)をしてしまいました。おこった許禰神社の神様は「おい! 鳥居なんかつぶしてしまえ!」と言って帰っていきました。
 今度は土橋の神様が木原に遊びに来た時に、幟で眼を突き、怪我をしてしまいました。おこった熊野神社の神様は「おい! 幟はやめてくれ!」と言って帰ってしまったと言われています。
 この事があってから、土橋の熊野神社には鳥居を、木原の許禰神社には幟を建てなくなり、今でもこの言い伝えが守られているとのことです。

引用元:中遠昔ばなし 木原に伝わる昔話(袋井市)

 

「仲良しこよしの神様こんな他愛もない出来事が、なぜ?現在に伝わり、しかも未だに土橋の熊野神社には鳥居を、木原の許禰神社には幟を建てない!なんて続けているのだろう」なんて、これまでの素人の私なら思っていました。

 

ですが、古事記や日本書紀などの考察をするyoutubeなどを見ている今では、「他愛もない出来事にこそ、重い真実が隠されている」と勘ぐってしまうようになり、この昔話にもきっと裏があるのだろうと考え中です。

 

最後に

今回の徳川家康ゆかりの地は袋井市木原という場所といっても過言ではないかも⁉です。というのも、ここがあの家康の負け戦として有名な『三方ヶ原の戦い』の前哨戦ともいうべき有名な『一言坂の戦い』、その前に起きた武田と徳川の小競り合いがあった場所だからです。

 

『許禰神社』には、木原畷古戦場碑もあるし、家康が座ったと伝わる大きな石も残るということで、昨年からお参りに訪ねたかった場所です。

 

こんなに激暑になるとは思っていなかった今年の夏にようやく思いがかなったわけですが、水分補給に長袖、長ズボン、帽子はもちろんクールネックリングや熱中症予防のゼリーの暑さ対策を万全にすることでどうにか無事に思いを果たして満足です。

 

昨日、今日あたりはさすがに、早朝だけは過ごしやすい気温に下がってくれて、秋の行楽に希望が持てるようになってきました。実は、暑いまま9月に突入するのでは?とドキドキでした。今年中に諏訪大社、出雲大社に行けたらいいなと思っています。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。

 


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