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井伊家の氏神『渭伊神社』と本殿奥の古墳時代からの祭祀遺構『天白磐座遺跡』

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<PRを含みます>

こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回お参りしたのは、静岡県浜松市浜名区引佐町井伊谷(いいのや)にある杉の大木に囲まれた『渭伊神社(いいじんじゃ)』です。

 

こちらの『渭伊神社』は、創建は不詳とされる式内社ですが、引佐郡六座のうちの一社で、古代から井伊谷の産土神として崇敬が厚い神社で、神宮寺川と井伊谷川によって形成された小さな盆地(井伊谷/縄文時代からの歴史を持つ土地)の北西部に位置しています。

 

神社の奥には古墳時代から鎌倉時代までの巨岩祭祀遺構の『天白磐座遺跡』が広がります。森の中には大きな岩や小さな岩が点在し、古代の神秘的な雰囲気をたっぷりと味わうことができます。また、大河ドラマの撮影でも使われたことがあります。

 

磐座と聞いて思い浮かぶのは、縄文時代中期の龍の女神信仰、つまりは古代出雲族・蝦夷の巨石に宿る龍神「アラハバキ」信仰です。「アラハバキ」と聞いて、青森県の亀ヶ岡石器時代遺跡で見つかった左足の欠けた『遮光器土偶(しゃこうきどぐう)』(国の重要文化財)を思い浮かべない人はいないのではないでしょうか?

 

神秘的といえば、こちらの『手水舎』のナチュラルな『手水鉢』にもぜひ!注目してください。これまで感じたことにないような神秘さと清涼感を与えてくれるはずです。

 

新緑や”青もみじ”が美しい春から初夏の頃なら、涼を求めて神宮寺川へと足を延ばすことをおすすめします。東屋もある川岸で静かな川の流れに耳を澄ませてみてはいかがでしょう。

 

井伊家の氏神『渭伊神社』と本殿奥の古墳時代からの祭祀遺構『天白磐座遺跡』

 

 

渭伊神社

 

 

鎮座地:静岡県浜松市浜名区引佐町井伊谷1150

 

《アクセス》

 

電車・バス:JR[浜松駅]北口⑮のりばから《奥山行き》で約45分、[北神]下車、徒歩約5分

車:東名[三方原スマートIC]から約26分

  新東名[浜松いなさIC]から約12分

駐車場:神社東側に7〜8台位停められる参拝者用の駐車場があります。散策をされるなら「浜松市地域遺産センター」へ駐車するのがおすすめです。

御朱印:いただけます。書き置きを拝殿にて用意してくださっています。

 

渭伊神社の御朱印

 

渭伊神社とは?

 

渭伊神社『本殿』と『御由緒』

 

創建は不詳のようですが、井の国の中心となる古代以来の神社です。井戸や井水を祭祀対象とした神社で、井伊氏の発祥とともに氏神になったとされます。

 

日本三代実録の866年(貞観8年)12月の条に「蟾渭神」の神階が正六位上から従五位下に昇叙される旨が記載されているとのこと、祭祀主は井伊家と考えられ、井伊谷の守り人だったことを伝える聖地といえます。

 

本殿の後ろの薬師山山頂に磐座祭祀遺跡の『天白磐座遺跡』(静岡県指定史跡「渭伊神社境内遺跡」)があります。

 

こちらの遺跡の発掘調査で古墳時代の遺物が出ていることから、この天白磐座遺跡の延長として『渭伊神社』が創建されたという説があり、1528-1532年の享禄年間に、龍潭寺付近にあった八幡宮が合祀されたといいます。

 

一方では、八幡宮と渭伊神社は同一神社で、享禄年間に龍潭寺付近から遷座したものとして、渭伊神社は天白磐座遺跡の延長ではないとする説もあるそうです。この説では、龍潭寺付近の井戸(伝井伊共保公出生井)を聖井とする「井神社」が本来の性格になるとし、水の豊かな井の国、水源(水分)祭祀の性格も指摘されているようです。

 

御祭神


現在の御祭神は下記の三柱です。

 

〇品陀和気命(ほんだわけのみこと/応神天皇)

応神天皇(おうじんてんのう)は、第15代天皇。『日本書紀』での名は誉田天皇(ほむたのすめらみこと)。記紀によると渡来人を用いて国家を発展させたとされ、中世以降は軍神八幡神としても信奉された。実在したとすれば4世紀後半〜5世紀初頭ごろの天皇(大王)と推定されている。

応神天皇 - Wikipedia


〇息長足比売命(おきながたらしひめのみこと/神功皇后)

神功皇后(じんぐうこうごう)、日本の第14代天皇・仲哀天皇の皇后。『日本書紀』での名は気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)で仲哀天皇崩御から応神天皇即位まで初めての摂政として約70年間君臨したとされる。

神功皇后といえば「三韓征伐伝説」が良く知られる。急逝した夫の仲哀天皇に代わり、女将軍として妊婦ながら朝鮮半島に出兵し、見事新羅を征服し、百済、高句麗の三韓を帰服させたと伝わる。

神功皇后 - Wikipedia


〇玉依比売命(たまよりひめのみこと)

タマヨリビメ (日向神話))- 神武天皇の母。天忍骨命(あめのおしほみみ)の妃で、天之杵火々置瀬尊(ニニギノミコト/天照大神の孫)の母。

タマヨリビメ - Wikipedia

 

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渭伊神社
引佐町井伊谷字天白にあり境内二千五百三十五坪老杉古桧 鬱蒼として繁茂し北西南の三方河水回りて(神宮寺川にしてヌ宮川ともいう)其風致最も秀抜なり
由緒創立の年代由緒詳ならざれども三代実録に貞観八年十二月二十六日授遠江国正六位上蟾渭神
風土記に延喜式神名帳中遠江国引佐郡渭伊神社とあり又江州彦根城主井伊家祖先
備中守共保寛弘七年其神井より出生以来産神として信仰厚し
渭伊神社は往昔今の龍潭寺境内にありしも南北兵乱の時現今の地に移せりという
往昔より渭伊二十七郷の大産神なり
旧地頭近藤氏の崇敬厚し
           井伊谷村誌より

(境内案内板より)

 

駐車場

 

7~8台置けそうな『渭伊神社』の駐車場

 

境内前の説明板と、歴史を感じる『渭伊神社』と書かれた石碑

 

では、さっそく『駐車場』から本殿が見えるので、本殿を目指して進みます。

 

ムササビの森

 

この渭伊神社奥の天白磐座遺跡を覆いつくす杉の大木のおおかげか、この辺りにリス仲間の「ムササビ」が住んでいるようです。

ムササビは昼は大木の穴の中で暮らし、雨の日以外は毎晩木から木へ飛びながら活動しているそうです。

 

かわいいムササビが住む木の穴。ムササビについてくわしく説明されてる『説明板』

 

かわいいムササビが飛ぶ姿を想像しつつ、手水舎で手を清めてからお参りしていきましょう。背の高い杉の木が日差しを防いでくれています。木陰が気持ちよい参道を進みます。

 

手水舎

 

青もみじに囲まれた『手水舎』、ナチュラルさが過ぎる『手水鉢』

 

こんなにナチュラルですてきな手水鉢には、未だ出会ったことがなかった気がします。

手を清める前から、手水鉢から湧き上がる涼し気な風情に全身清められちゃう感じです。

 

 

清々しさ満点の『青もみじ』、見上げるて青空と御神木を愛でる

 

御神木の手前の少し老いた感じの木ですが、落雷を受けてもなおその姿を留めているそうです。

 

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本殿

 

渭伊神社『拝殿』、奥の『本殿』

 

渭伊神社の摂社・末社

 

『神社御祭神鎮座図』と『舞殿』かな?

 

境内にはいくつかの歴史を感じさせる摂社・末社と思われるお社があります。どれがどのお社かははっきりしませんでしたが、拝殿前の『神社御祭神鎮座図』でこれだけ数多くの神様が摂社・末社で祀られていることに、古墳時代からの古を感じます。

 

モロード様 伊豆社の御祭神の「瓊々杵尊(ににぎのみこと)」といえば、アマテラスの孫にあたる神で、宮崎の高千穂に降臨した『天孫降臨』伝承を含め、現在の私にとって非常に興味深い神様です。

 

舞殿?

”天皇御在位60年記念、舞台修復、昭和61年10月吉日”と書かれています。

 

歴史を感じさせる大きな石の上の『摂社・末社』

 

モロード様 伊豆社

御祭神:瓊々杵尊(ににぎのみこと)

 

金山社

御祭神

〇金山彦命(かなやまびこのみこと)

金の神、鉱山の神。伊邪那美命が火神軻遇突智(かぐつち)を産み、熱に焼かれて嘔吐したとき、金山姫神とともに生まれた男神。

〇金山姫命(かなやまひめのみこと)

日本の鉱山の神。伊邪那美命が迦具土神を産む時、痛み苦しんだ際の吐瀉物から金山彦と共に生まれ、夫婦である。

 

榊木稲荷社

御祭神

〇倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

〇猿田彦命(さるたひこのみこと)

〇大宮売命(おおみやのめのみこと)

 

菅原社

御祭神:菅原神(すがはらじん)

 

御鍬社

御祭神

〇伊雑波止美命(いざわとみのみこと)

〇玉柱座姫命(たまはしらざひめのみこと)

 

水神社

御祭神:弥都波能売命(みづほのめのみこと)

 

若宮八幡宮

御祭神:大雀命(おおささきのみこと)

 

祖霊社

御祭神:祖神

 

稲荷社

御祭神

〇猿田彦命(さるたひこのみこと)

〇倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

〇大宮売命(おおみやのめのみこと)

 

英霊者

御祭神:戦没者21柱の英霊

 

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天白磐座遺跡(静岡県指定史跡/平成4年3月17日)

 

本堂左側の『天白磐座遺跡』の案内板に従って、なだらかな坂を登っていくと、大きな岩がいくつか現れるのでびっくりします。

 

本殿左側の案内板通りに進みます。

 

なんとなく縄文時代を彷彿させる雰囲気に感動です

 

『天白磐座遺跡』左が西岩、右が東岩、中央が北岩

 

渭伊神社背後の薬師山(標高41.75m)の山頂に位置し、高さ約20mの円錐形をなす小丘陵の頂上に、約40メートル四方にわたって数十個の巨石が散在する巨石群を神の依代(磐座)とした古墳時代の祭祀遺跡です。

 

本殿の奥には磐座があり、巨石が散在しています。大きいもので5m、小さいもので1mで、立っている岩や横たわる岩などさまざまな姿で群れて、総数約20の岩群を形成しています。

 

神の拠り坐す処の『巨岩』は高さ5mくらいあるでしょうか?

 

磐座とは神の拠り坐す処といわれ、丘上の岩群は渭伊神社の神座岩群であり、古代より今日まで、初めそのままの姿を残しています。

 

天白磐座遺跡

1988年(昭和63年)に祭祀遺構と確認され、1989年(平成元年)夏に発掘調査が実施され、4世紀後葉(古墳時代前期)から平安時代に至る長期間、連綿と続いた祭祀場であったことが明らかになりました。

この磐座は西・東・北の巨岩3つを主体として構成されたもので、特に高さ7mに及ぶ最大の磐座の西壁直下では、古墳時代の祭祀場として限定され、手こね土器200以上や鉄鉾や滑石製勾玉などの祭祀に用いられた遺物が出土しています。

また、11世紀松には末法思想による埋経のための経塚が巨岩群の中央に営まれ、渥美製の経筒外容器が和鏡と共に出土しています。

この遺跡は渭伊神社の創祀が古墳時代前期までさかのぼることを語るとともに、古代人の精神や宗教観を解明するうえに重要な文化財です。
     引佐町

(境内【井の国・引佐町散策の説明板】より)

※こちらの出土品は「浜松市地域遺構センター」で展示されています。

参照元:渭伊神社 - Wikipedia

 

鳴岩

 

神宮寺川の岸にそびえる『成岩』

 

神宮寺川沿いの崖の上にある巨大な磐座『鳴岩』です。なぜ『鳴岩』と呼ばれているのかは不明です。古代には渭伊神社奥の『天白磐座遺跡』と対で信仰対象だったかもしれません。

 

浜北の堀谷アラハバキ神社にも道路を挟んで巨石が2つ鎮座していましたので、あちらでも感じたように、古の縄文、巨石信仰のアラハバキなのではないかと期待してしまいます。

 

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『鳴岩』をの辺りをロマンを感じながら行ったり来たりしていて、何やら川を渡ることができるすてきな名前の橋を見つけました。その橋の名は『井の国橋』!

 

『井の国橋』を発見!橋の手前を右に進むと『出世地蔵』があるらしい

 

川のせせらぎを聞きながら、杉林を歩くのは本当に気持ちよくて、本来生き物はこういった自然の中が一番安らぐものなのだと感じました。

 

ただ、橋の手前の右奥には『出世地蔵』があるとうさぎが道案内してくれていますが、この草むらを進む勇気は出ませんでした。現代人ってこの程度ってこと!

 

『井の国橋』の下の神宮寺川ではきれいな鯉も泳いでいます

 

真夏でなければここの東屋でお弁当も良さそう!

 

ここは縄文・弥生時代なのか?と錯覚するほどの異世界です

 

ゆっくりと神宮寺川の流れとせせらぎ、セミの大合唱を楽しんだあとは、再び『井の国橋』を渡り、杉林を抜け『本堂』まで戻ってきました。

 

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最後に

 

こちらに伺ったのが、7月13日ということで、ちょっと動くだけで汗が噴き出るような日でしたが、氏子さんでしょうか?汗を拭きながら鎮守の杜のお手入れやら境内をきれいにしてくれていました。

 

地元の皆さんに大切に整備された神社を、自由にお参りできることを普通ではないことと肝に銘じ、境内はもちろんですが、古の時を感じる磐座やうっそうとした杉林、涼やかな流れの神宮寺川まで、縄文時代の信仰を想像しながら遺跡を回らせていただくことは喜びでしかありません。

 

渭伊神社の前に立ち寄った『井伊谷宮』では、親切にも声をかけてくださった装束を身に着けた神職さんにも、「渭伊神社は縄文時代まで遡る歴史を持つ『井の国』の中心、つまりは『井(しょう)の国』の中心で井戸や井水をお祀りした神社」だとを教えていただきました。

 

私が「井伊谷の駐車場に停めさせていただいて渭伊神社に向かってもいいですか」と伺うと、「こちらの駐車場に停めて歩くことも可能だけど、ただ、渭伊神社本殿近くに駐車場があるから、ここを左へ出て[神宮寺交差点]を左折、「鰻いしかわ」という店を左折して、あとはどこかしらを右折すると行けます」と親切に対応してくださいました。その節はありがとうございました。

 

縄文時代からの歴史を持つ土地「井伊谷」、やさしく素敵な人ばかりでつい移住したくなってしまいます。とりあえず、宝くじの当せんを待ち望むことにしましょう。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。

 


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