こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
今回は徳川家康にゆかりもあり、古代の磐座が起源とされる愛知県新城市にある『石座(いわくら)神社』です。天の中心に存在するという『天之御中主尊』、穀物神として『天稚彦命』を祀っています。
織田信長と徳川家康の連合軍が、戦国時代最強といわれた武田軍、信玄の息子である武田勝頼を倒した『長篠・設楽原の戦い』。この歴史を変えたともいえる決戦を前に織田信長・徳川家康が、こちらの『石座神社』に戦勝祈願したと伝わるそうです。
さらに、『天稚彦命(あめのわかひこのみこと)』を祀る神社はあまり多くないようで興味深いですし、摂社2社、さらに10社もの末社があり、中でも神社の門におかれた客人神(まろうどかみ)として祀られるケースの多い『荒波婆岐(あらはばき)社』には縄文時代のノスタルジーを感じます。
石座(いわくら)神社
鎮座地:愛知県新城市大宮字狐塚14
《アクセス》
電車・バス:JR飯田線[三河東郷駅]から徒歩約40分、[茶臼山駅]から徒歩約43分
車:新東名高速道路[新城IC]より約5分(3.5km)
東名高速道路[豊川IC]より約30分(15.4km)
駐車場:一の鳥居側に数台あります
お手洗い:あります
御朱印:社務所まで行かなかった為、いただけるか不明です。ネットでも情報を見つけられませんでした。
石座神社とは?
太古より雁峯山(がんぼうさん)に大きな岩(石座石)があり、古代の磐座で『石座神社』の起源とされます。設楽原の戦いに際しては、織田信長・徳川家康が戦勝祈願したと伝わります。社格は七等級県社。
御祭神
本殿の御祭神は、天之御中主尊・天稚彦命です。
天之御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)
天地のはじめのとき、高天原で最初に出現した神。まさに天の中心に存在する神という意を表す神です。
天稚彦命(あめのわかひこのみこと)
日本神話に登場する神、穀物神として安孫子神社(滋賀県愛知郡秦荘町)などに祀られています。ただ天稚彦命を祀る神社は少ないようです。
摂社
摂社とは神社の格式の一つ、本社に付属し、その祭神と縁故の深い神を祀った神社のこと。本社と末社の間に位置し、本社の境内にある境内摂社と境外にある境外摂社があります。
児御前社(ちごぜんしゃ)
御祭神:石鞍若御子天神(いわくらわかみこてんじん)
日本文徳天皇実録に、851年(仁寿元年)冬10月の項に、石鞍の神が従五位下の神階を与えられたとの記述があるそうで、石座の神格化。
児御前社は、牛倉のあるお宅のこんもりとした山(みこ山)に、鎌倉時代初め頃まで政所(まんどころ)が置かれ、そこの社だったといわれているそうです。
須波南宮社(すわなんぐうしゃ)
御祭神:建南方刀美命(たけみなかたとみのみこと)
諏訪大社の祭神、1916年(大正5年)大宮厳島神社を合祀。現在も大宮中組が祇園の祭をこの社前で行っているそうです。(御神木から参道を上へ100m山頂)
末社
末社とは、摂社以外で本社の支配を受けている小社のことです。石座神社には以下のように10もの末社があります。
①荒波婆岐社(豊石窓命・希石窓命)
②神楽社(宇須女命)
③伊雑社(伊雑大神)
④保食社(倉稲魂命)
⑤山神社(大山祇命)
⑥水神社(速秋津姫命)
⑦金比羅社(大物主命)
⑧白山社(白山比咩命)
⑨祖霊社(天児屋根命)
『長篠・設楽原の古戦場跡』を通過し、家康の長男でありながら、後に二俣城にて悲劇の切腹をとげた岡崎信康の本陣地跡に立ち寄り、北へ進むと新東名高速道路の脇に『石座神社』の森が見えてきます。
『石座神社』一の鳥居の下の駐車場に車を停めさせていただいて、さっそくお参りしていきましょう。
御由緒
当社の起源は最も古く、太古より神峯山(雁峯山)の峯に大きな岩があり石座石(額岩)と言い、その傍らに稚子石(石座石)がある。いずれも古代の盤座(神の鎮座するところ)であって、これが石座神社の起源であるという。社は、上古この山頂に御鎮座していたが、野火によりたびたび消失し、 そのため中古現在地に移ったと伝えられる。
旧設楽郡内唯一の式内社で「延喜式神明帳」(905〜927)に宝飯郡(当時宝飯郡設楽郷))六座の内に石座神社とある。また、それ以前の文献「文徳實禄」仁寿元年(851)の 条に石鞍神従五位下、「三代實録」元慶七年(883)の条に石鞍神従五位上、「国内神名録」(成立年代不詳))に正三位盤倉大明神式内座設楽郡と記されている。なお、江戸時代に書かれたという「三河風土記」に、大宝3年(903)9月奉圭田行神事とある。
旧信濃国伊奈郡立石村(現長野県飯田市)立石寺の鐘銘に、三河国設楽群岩倉大明神宮嘉吉三年朧月十三日鋳之とある。
天正3年(1575)五月設楽原決戦に、織田信長・徳川家康が戦勝祈願をしたという。明治5年に郷社に列し、大正13年に県社となる。
(御由緒板より)
一の鳥居
石座神社の一の鳥居の幟(のぼり)は古くから門前組によって奉納されています。また、御神木の注連縄は川上・門前組によって奉納されているそうです。
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参道を本殿に向って進めると、右脇に「天王社・須波南宮社参道の石の道標」と」書かれた道標があります。
天王社・須波南宮社参道の石の道標
道標のある右側の道を100mほご登っていくと、摂社の『須波南宮社』と末社の『素盞鳴社(すさのおしゃ)』が並んで鎮座しています。
〇須波南宮社
御祭神:建南方刀美命(たけみなかたのみこと)
『古事記』等に伝わる日本神話の神。『日本書紀』以外の国史では南方刀美神(みなかたとみのかみ)の表記を用いる文献や神社もみられるようです。
諏訪大社(長野県諏訪市ほか)の祭神として祀られていることから、諏訪神、諏訪明神、諏訪大明神、諏訪南宮法性上下大明神、お諏訪さま等とも呼ばれる。( タケミナカタ - Wikipedia )
ちなみに、古事記の葦原中国平定(国譲り)という場面で、タケミカヅチに手を若葦のように握りつぶされ放り投げられたという神様です。
〇素盞鳴社(すさのおしゃ)
御祭神:素盞鳴命(すさのおのみこと)
日本神話に登場する神。天王(てんのう)仏教の神(天部)の一種。日本各地の「〜天王」「天王祭」も天王は牛頭(ごず)天王のことで、これは須佐之男命(すさのおのみこと)と習合しています。1916年(大正5年)、須長の天王社、熊野社を合祀しています。
さらに参道を進めると、右側にたくましく立派な御神木が見えてきます。
御神木
御神木を拝んでいると、前方には『二の鳥居』がそびえます。鳥居の左脇に鎮座するのが『荒波婆岐社(あらはばきしゃ)』です。
二の鳥居
荒波婆岐社(あらはばきしゃ)
古事記・日本書紀の神話や伝統的な民話などに登場しない謎の神!アラハバキ。
諸説ありますが、「荒覇吐」「荒吐」「荒脛巾」「阿良波々岐」などと表示されるアラハバキですが、縄文の神」説、「蝦夷の神」説などから、今は青森の『遮光器土偶』のイメージとしてよく知られ、現代でも全国各地の神社でひっそり祀られている謎多き神様です。
御祭神
『荒波婆岐社』の御祭神は、豊石窓命・希石窓命。
〇豊石窓命(とよいわまどのみこと)
荒波婆岐社の門の神(御門神)。アラハバキを祀る神社は東北地方に多く見られますが、関東以南でも見ることができます。ただし、主祭神としてではなく門客神(もんきゃくじん/神社の門におかれた客人神(まろうどかみ))として祀られているケースが多いようです。手足が長い縄文人からの長脛彦(ながすねひこ)とも。
〇希石窓命(くしいしまどのみこと)
天石戸別神(あめのいわとわけのかみ)、豊石窓神(とよいわまとのかみ)ともいう。
邇邇芸命(ににぎのみこと)が天照大神(あまてらすおおみかみ)の命をうけて日向(ひむか)の高千穂峰にくだる際(天孫降臨)、宮城の御門(みかど)の守護のためにしたがったという資料がありますが、櫛石窓神社との関係は明らかでないとのこと。
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手水舎で清めてからお参りです。こちらには何やら井戸みたいなものもあります。なぜあるのか?と。ちょっと知りたくなります。
手水舎
拝殿に向かって右側には摂社の『児御前社』が鎮座しています。
児御前社
御祭神は石鞍若御子天神(いわくらわかみこてんじん)とされ、石座石の神格化であると位置づけられています。
また、「児御前社は、牛倉の〇〇さん宅東のこんもりした山(みこ山)に、鎌倉時代初め頃まで政所(まんどころ)が置かれており、そこの社であったともいわれている。と、『石座神社の神々たち」という、拝殿に用意してくれている資料には書かれています。ありがたいことです。
狛犬
拝殿
本殿
”銀?記念”と書かれた石碑の横の注連縄のかかった石が『境内 石座石』なのかな?
境内 石座石
『拝殿』の左側に末社の4社が並びます。左側から記します。
神楽社(かぐらしゃ)
御祭神:宇須女命(うずめのみこと)
「岩戸隠れ」のくだりなどに登場する芸能の神。日本最古の踊り子。
伊雑社(いざわやしろ)
御祭神:伊雑大神(いざわおおかみ)
天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)=天照大神
保食社(うけもちのやしろ)
1916年(大正5年)牛倉の茶臼山神社と合祀。
御祭神:倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
記・紀にみえる神。 稲の精霊が神格化されたもので、「ウカ」は穀物・食物の意味で、五穀、食物をつかさどる神で、伏見稲荷大社の主祭神であり、稲荷神(お稲荷さん)として広く知られます。「日本書紀」では伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊奘冉(いざなみの)尊の子。
山神社(やまじんじゃ)
1916年(大正5年)須長の青木社(祭神は大山祇命)と川上の山住社を合祀。
御祭神:大山祇命(おおやまずみのみこと)
『古事記』では、神産みにおいて伊邪那岐命と伊邪那美命との間に生まれたとされ、『日本書紀』では、イザナギが軻遇突智(カグツチ)を斬った際に生まれたとしています。神名の「ツ」は「の」、「ミ」は神霊の意なので、「オオヤマツミ」は「大いなる山の神」という意味となり、日本全国の山を管理する神の総帥です。現在も須長の「山の講」は毎年この社前で行われているそうです。
拝殿の左側に『神馬舎』があります。
神馬舎
新城市指定文化財 昭和33年4月1日
この馬ははじめ白い馬であったが、夜毎に外に出て田畑を食い荒らすので、格子造りの馬小屋の中に入れて、黒く塗ってしまった。そうしたらもう田畑に出てこなくなったという。そんな伝説が残る木造漆塗りの神馬は、体高105cm体長150cmの大きなもので空道和尚の作と伝えられている。
空道和尚は、1711年頃(正徳年間)にこの地に生まれ、旗本設楽家に仕えたが、後に仏門に入り、その徳は人々に広く慕われたという・
昭和61年8月1日 新城市教育員会
(境内説明書)
本殿右側の一段高くなった広いスペースには『護国神社』が鎮座しています。
護国神社
続いて4社の末社が並びます。左側から記します。
水神社(すいじんじゃ)
御祭神:速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)
古事記では別名水戸神(みなとのかみ)と記されています。水戸神とは港の神。古代の港は河口に造られるものであったため、水戸神は河口の神でもあります。川に穢れを流す意味から祓除の神とされます。
「大祓詞」では、川上にいる瀬織津比売神によって海に流された罪・穢を、「荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百会に坐す速開津比売(はやあきつひめ)と云ふ神」が呑み込んでしまうと記されています。
金比羅社(ことひらしゃ)
御祭神:大物主命(おおものぬしのみこと)
金刀比羅宮の主祭神。大国主命の和魂神(にぎみたまのかみ/神様のやさしい、温和な霊力)で、農業殖産・漁業航海・医薬・技芸などの神ともされています。
『古事記』での神武天皇の岳父、綏靖天皇(すいぜいてんのう)の外祖父とされ、また三輪氏の祖神でもあります。
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白山社(はくさんしゃ)
御祭神:白山比咩命(しらやまひめのみこと)
全国の三千余社の白山神社の総本社は加賀一ノ宮の国の白山比咩神社(しらすひめじんじゃ)で、白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)=菊理媛尊(くくりひめのみこと)だそうです。
日本書紀に書かれている神様で、伊邪那岐、伊邪那美の夫婦神がけんかをしたときに二人の間に入って、仲を取り持ったという神様。ここから「縁結びの神様」と言われているとか。
祖霊社(それいしゃ)
御祭神:天児屋根命(あまのこやねのみこと)
祖先累代の霊を合わせて祀る社。日本神話に登場する神で、天岩戸伝承で、フトダマと共に占いを行い、岩戸の前で祝詞を奏上した神のため祝詞(のりと)、言霊の神と評される一方、中臣氏及び藤原氏の祖神(おやがみ)に当たる存在として知られます。
その横には墓石?自然の風化により字は読めないですが、歴史が深そうな石仏が3つ並びます。
実はこの『石座神社』の奥には『石座石(石座神社神籬/ひもろぎ)』があり、雁峯山(がんぼうさん)の麓からの登山道を片道1時間くらいプチ登山すると行けるようなんです。
石座神社 奥宮 石座石
鎮座地:新城市須長雁峰
標高628mの雁峯山の中腹に、新城市指定有形民俗となっている磐座信仰の巨石 「石座石」 があるそうです。
『石座神社』の本宮奥の院とも言うべきあらたかな大岩で、長径8mほどあり、注連縄がかけられ、人気アニメ『鬼滅の刃』で主人公の炭治郎が切った「一刀石」のように二つに割れているとか。
奈良時代前から祀られている巨石だそうなので、長年の風雨などで自然に割れたものだとは思われますが、鬼滅の刃全盛期にここを訪れたファンはかなり興奮したんじゃないでしょうか?
山の麓からの登山道を案内板通りに山道を進むと、1時間ほどで古代に祭祀がおこなわれていたであろうあらたかな場所、つまりは8mもある巨石が見えてくるとか。
現在麓にある『石座神社』ですが、神社自体はもともと雁峯山々頂にあったといいます。その後、たびたび野火の被害に遭い、現在の場所に遷ったと聞きます。また、江戸時代は「岩倉大明神」と称していたようです。
参照元:東三河を歩こう - 東三河の様々な情報を発信しています
最後に
愛知県には古代から大きな石を神として信仰する『磐座』があると聞いてはいたのですが、静岡からほど近い新城にあるとは!
先回、井伊谷の神宮寺川の流れに囲まれた丘に鎮座する古社『渭伊神社』が鎮座する『天白磐座(てんぱくいわくら)遺跡』でタイムスリップでもしてしまったかのような感覚を味わったせいか、これまで以上に磐座やアラハバキなどのワードに敏感になった私。
杉林や大きな岩を見るだけで、何となく感謝せずにはいられない気分の中、今回『石座神社』をお参りできて、石座神社の神籬である『石座石』を拝むことはできなかったんいしろ、十分想像できる神社を訪ねることができて本当に感謝です。
この『石座神社』の奥の『石座石(石座神社神籬)』をお参りされた方の口コミを見ると、”周辺には巨石がゴロゴロしているだ”とか、”宇宙に最初に現れた「天之御中主命神」を感じられる場所”と記していて、とてもうらやましい限りなんですが、アラ還の私は「往復2時間ものプチ登山は無理!」と断念してしまった。いやー本当は行きたかった!残念!
今年(2024年)の7月の気温は?というと、統計史上「最も暑かった7月」だったとニュースになるほどの暑さでしたよね。私が新城に出かけた7月17日も異常な暑さだったですし、砥鹿神社と奥之宮をお参りしたあとだったこともあり、ある意味「棄権」した状態になるのも無理のない話です。
秋になって過ごしやすくなったら、改めて『石座石』を拝みに出かけたいと思っています。とにかく不穏な情報があっちこっちから入るご時世です。知ることと不安になって何もしない!というのは別のお話ってことで、紅葉が美しい秋の訪れが待ち遠しい最高気温が4度~39度の今日この頃です。
最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。