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Channel: sannigoのアラ還日記
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三島市原ノ谷に鎮座する『瀧川神社』瀬織津姫へのあこがれと感謝を込めての巡礼

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こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

箱根山中からの湧き水が流れる滝と川を見られるパワースポットで、県外からもたくさんの方が訪れると聞く『瀧川神社』です。特に興味深いのは、こちらの御祭神が瀬織津姫(せおりつひめ)であるということです。

 

瀬織津姫といえば、全国で多くの神社で祀られ、スピチュアルな世界では大人気の神さまで、弁財天・市杵島姫命が重ねられることがよくあります。

 

また、瀧川神社の滝は、近くにある『白糸の滝』ほどの高さや幅のある滝ではありませんが、風情溢れる滝で心が癒されますし、狭い道沿いの野菜が育てられている畑の奥にあるとは思えないほどの歴史とロマンを感じます。

 

三島市原ノ谷に鎮座する『瀧川神社』瀬織津姫へのあこがれと感謝を込めての巡礼

 

 

瀧川神社

 

 

場所:静岡県三島市原ノ谷755-1

 

《アクセス》

 

電車・バス:JR[三島駅]より「富士見台行き」のバス乗車[老人福祉センター]下車徒歩約8分

車:新東名[長泉・沼津IC]より約18分
  東名[沼津IC]より約13分

駐車場:ありませんので、迷惑にならないように手前の広い道沿いの少し広くなった所に路駐するしかないようです。一応、ここから止めてくださいという看板もあります。

参拝:自由

 

由緒

 

瀧川神社は、祓戸の神である「瀬織津姫」をお祀りする神社であるが、その昔は民間信仰の場として滝不動とも云われ、水の信仰を集め、同時に修験者の集まる禊道場でもあった。

三嶋大社でも祭典の前日には神職がこの滝に入り溝儀をしたと伝えられる。

この境内の立木全体に藤が繁茂し、その時期には境内全面藤の花が咲きさん歯医者の目を楽しませる。

 

瀧川神社の『周辺の言い伝えマップ』

 

こちらの瀧川神社には、『周辺の言い伝えマップ』という案内文が”御参拝の皆様へ”と書かれた掲示板に貼ってくれてあるので、引用させていただきます。

 

〇瀧川神社

瀬織津姫の神子と言われています。女性の神様

立派な祠が焼けてしまいました。
三嶋大社と同じ頃にできたと思われます。滝のしぶきで虹が出る時も有
三嶋大社夏祭り時、大社の神主さんふが滝に打たれてみそぎをした時も有り
50年くらい前、医者に見放された妊婦が無事に産まれたとのことです。(村上氏)
滝の中央の仏様(不動明王像?)は村上氏が寄贈された
日照りが続く時麦わらで大きな龍(10M×0.5M位)を作り、滝に上らせると、雨が降るそんな特別行事(雨ごえ)を部落全員で昭和30年代頃まで実施しておりました。
神社境内は強力なパワースポットと言われています。

〇もんじいし(文字石)

瀧川神社の裏手の山田川の中の大きな石に公募大師(奈良時代後期の生まれ)がお湯が出る所の目印を付けたと言われています。(弘法大師40歳と思われる時に)弘法大師が修善寺とっこの湯発見807年(大同2年)に瀧川神社に来た可能性が有り、滝川神社より北方約300メートルを平安、鎌倉古道(平安、鎌倉時代の国道)が有り、平安、鎌倉時代の重要な国道であった。

〇はらおびじぞう(安産祈願の地蔵さん)

平安、鎌倉古道から瀧川神社へ一本道の横に有り安産地蔵さん

妊婦さんが腹帯をすると同時に安産祈願でさらしの布を地蔵さんに巻いて、無事に生まれてきたお礼に、また、さらしの布を巻きます。

奈良、平安、鎌倉時代からあるのかもしれない?
日本で唯一ここだけかも?ネット上にも無し、知る人知らせて下さい。

〇杉本ルーツ

山田町名(30件中半分以上が杉本)で有り鎌倉幕府の和田義盛

鎌倉幕府の内輪もめ(和田合戦)に負けて1213年死、DNAを残すために3ヶ所に分かれたと言い伝え、(山田、裾野市下和田、久米田)和田義盛の父(杉本義宗)の杉本を3ヶ所で名乗ったと思われる

〇鬼石

鬼坂(おのざか)から鬼が転がして山田川に置いたと言われています。

グーグルマップにも記載されている(瀧川神社より約1km東の横道川中)

〇山神社

1月と10月に例祭を実施しています。

(境内の『周辺の言い伝えマップ』より)

 

このご案内からわかるように、その昔は民間信仰の場として、滝不動ともいわれ、水の信仰を集め、同時に修験者の集まる禊道場(みそぎどうじょう)でもあったようです。三嶋大社でも祭典の前日などには神職がこの滝に入り禊をしたと伝えられています。

 

弘法大師が1200年前の平安時代の頃、ここを訪れ、お湯が出る目印をつけたと言い伝えがある文字石(もんじいし)と呼ばれる大きな石が瀧川神社の裏手の山田川の中にあると案内板に書かれています。現在、石に書かれた文字は自然の風化で見えないそうです。

 

では、狭い公道の脇に車を停めさせていただいて、さっそく畑の向こうに見える『鳥居』を目印に歩いていきましょう。

 

狭い公道のガードレール付近の看板と、神社前とは思えない田舎の風景

 

畑の中にある石碑と、畑の向こうに見える『瀧川神社』の鳥居

 

鳥居

 

瀧川神社のいい感じに苔むした『鳥居』と、くぐったあとの水と緑のコントラスト

 

涼やかに落ちる滝の音に耳を澄ませてみました

 

わかるかな?村上氏が寄贈された滝の中央の仏様(不動明王像?)

 

自然光があふれる森の中、山田川沿いのまるでオアシスのような場所に由緒正しい『拝殿』があります。

 

拝殿

 

瀧川神社の『拝殿』

 

お花に囲まれた『拝殿』、なんという名の花でしょう?

 

『周辺の言い伝えマップ』にもあるように、2013年(平成25年)10月に総本殿を焼失してしまったようで、現在の礼拝は三嶋大社の仲介のもと、式年遷宮の際に出た材木を伊勢神宮に分けていただき2015年(平成27年)8月に建てられたという由緒正しい拝殿だそうです。

 

鳥居をくぐって左側に進むと、手水鉢があったり、川に下りることもできるようです。

 

瀧川神社の『御由緒』と、左側奥の山田川

 

手水鉢

 

お花が生けられた素敵な『手水鉢』と、何の石だろう?

 

山田川の清々しい風景

 

『瀧川神社』は、三島大社と同じころにできたといわれ古い歴史があります。御祭神は祓戸の神である瀬織津姫神です。瀬織津姫とは?ウイキペディアによると、

 

大祓詞や古史古伝のホツマツタヱ、神社伝承などで存在が知られ、瀬織津比咩・瀬織津比売・瀬織津媛とも表記されるが、古事記・日本書紀には記されない神名である。

水神や祓神、瀧神、川神である。九州以南では海の神ともされる。祓戸四神の一柱で祓い浄めの女神。「人の穢れを早川の瀬で浄める」とあり、これは治水神としての特性である。

瀬織津姫は天照大神と関係があり、天照大神の荒御魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)とされることもある。とし、伊勢神宮では、瀬織津姫を天照大神の荒魂として祀っている。

 

とのことです。私が興味深く感じたのも、このホツマツタエで天照大神の皇后が瀬織津姫であり、オシホホミを産み、この子孫が神武天皇へと続くことでした。

 

瀬織津姫が天照大神の正妻ということですから、天照大神を女神だと思っていたのでびっくりです。さらに、出雲王家に伝わる伝承で市杵島姫命が嫁いでいるのがニギハヤヒで、正史とはちがうところと言われています。

 

日本は豊かな水の国です。だからこそ、日本に落ち着いた海洋民族たちがその恵みに感謝して祈りを捧げたのが瀬織津姫だったのではないかと考えられているようです。

 

最後に

 

今回の記事『瀧川神社』、実は6月の中旬の暑くなりはじめの頃出かけました。まだ暑さに慣れていない頃ということもあり、ほんとに流れている空気というか、木々を揺らす風にも神秘と涼しさを感じました。

 

本当に自然がいっぱいの場所で、畑には実りを待つ野菜がたくさん植えられています。なんと言ったら良いでしょうか?人間の営みのあるべき姿みたいな感じがしました。

 

日本の始まりは?とか記紀の内容は?とか、最近興味を持った縄文~弥生時代~古墳時代など、考えてみたら大変革の時で大変なものだったかもです。

 

それでも、八百万の神というように、食べるもの、着るもの、見えるものすべてに神が宿ると信じ、「ありがとうございます。よろしくお願いします」と毎日のように頭を下げ祈りを捧げながら暮らす日々は、尊いものなんだと思います。

 

できれば、そうありたいと思いながらも、不平不満を吐き続け、もっともっとと上ばかり見上げながら暮らす日々、それでも、ほんの少しでも古来からの思いを持とうと思ったときは、『瀧川神社』にもう一度お参りしたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。

 


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