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愛知県との県境に広がる三ヶ日みかんの里には伝説で2000年近くの歴史を持つ『濱名惣社神明宮』がある

こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

おいしい”三ヶ日みかん”で知られる静岡県浜松市浜名区三ヶ日は、浜名湖北岸にある地区ですぐお隣は愛知県という県境の自然豊かな町です。

 

この三ヶ日は、実はみかんだけでなく、縄文時代初期から三ヶ日人が居住し、江戸時代には本坂通(姫街道)の宿場町『三ヶ日宿』があり東海道の脇道として女性が多く往来していたと聞きます。

 

今回訪れた『濱名惣社神明宮(はまなそうしゃしんめいぐう)』辺りは平安から鎌倉時代にかけて伊勢神宮の神領であった事から、この辺りには「浜名七神明」など、非常に興味深い伊勢神宮ゆかりの神社がたくさんあり、三ヶ日全体が深い歴史を感じさせてくれます。

 

創建からは1000年以上、伝説をたどると2000年近くの歴史を持つと思われる『濱名惣社神明宮』は昔からの伝承によると、伊勢神宮が現在の三重県伊勢市へ遷る前に、40余日の間一時的にこちらへ祀られていた(日本書紀より)といい、境内には伊勢神宮との関わりを感じさせる場所がいくつか残されています。


通称お神明さまと呼ばれる『濱名惣社神明宮』の広い境内の中央に位置する拝殿の後方斜面には大輪山(おおわやま)があります。(大輪山とは?大和の三輪山とつながりそうです)

 

その大輪山の中腹の本殿は一般の参拝者は立ち入り禁止となっていますが、「井篭(せいろう)造り」と呼ばれる工法で全国的に見ても類のない構造物で、国の重要文化財に指定されています。

 

拝殿の左右には「天羽槌雄命社、天棚機姫命社、太田命社、浜名天満宮、須佐之男神社」の境内社が並んでいます。

 

『伊勢神宮』で20年に一度行われる『式年遷宮』は御存じの方が多いと思われます。式年遷宮とは、定期的に神殿を建て替え、神様に遷っていただくことです。伊勢神宮にゆかりがある『濱名惣社神明宮』では、その古材を鳥居や玉垣に使っているそうです。

 

約1800坪の広い境内にはあまり人もいませんし、樹齢数百年と思われるような巨大な樹木が多く静謐な空気が流れています。また、全国的にも珍しい「万度石」や「さざれ石」、そして「井篭造」の本殿などと見所がたくさんあります。

 

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すごく立派な浜名惣社神明宮の拝殿

 

 

濵名惣社神明宮

 

 

場所:静岡県浜松市浜名区三ヶ日町三ヶ日122

 

《アクセス》

 

電車・バス:天竜浜名湖線[三ヶ日駅]から徒歩約15分

車:東名高速道路[三ヶ日IC]より約10分

駐車場:あります ※301号線の遠鉄ストア三ケ日店のすぐ北に参道入口の鳥居があります。この交差点を北へ300mほど北に進むと、社務所横の駐車場があります。

御朱印:いただけます。初生衣神社の御朱印もこちらでいただけるので忘れずに!

 

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『濵名惣社神明宮』駐車場から見える今の形になる前の鳥居と、御朱印

 

御祭神

 

天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)

 

御由緒

 

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301号線から見える『鳥居』と、『御由緒』の案内板

 

創立の年月は詳しくわかっていないようですが、第11代垂仁天皇(すいにんてんのう/紀元前29年~紀元後70年)の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が大和の笠縫野村(かさぬいのむら)より天照皇大御神の御霊(御神鏡)を奉じて御鎮座の地を求め、この地に40余日滞在したと伝わります。のちに御神託により伊勢の国に向われたといわれています。(日本書紀より)

 

このことから、当時の創立と思われ、浜名惣社神明宮は、その名の通り浜名の総社として、また浜名神戸(かんべ)の本拠として崇敬されてきました。

 

延喜式神明帳(901〜922)に記されてる遠江国浜名郡の太田田根子命(おおたたねこのみこと)を御祭神とする「英多(あがた)神社」に当たる式内社のようです。ただ、境内案内板によりますと”天慶3年(940年)に創祀されました。”とありますので、ここから浜名惣社神明宮となったのでしょうか?

 

940年(天慶3年)に三ヶ日の周辺地域は、三重県・伊勢神宮の治める場所となり、これまで祭っていた太田田根子命は従属的な位置付けに代わり、天照皇大御神を御祭神とする『神明宮』となったということです。また、豊臣家や、徳川家歴代の崇敬も驚く42石の朱印を賜っていました。

などといただいた御由緒(パンフレット)にはあります。

 

また、この神社では特殊神事と呼ばれる「夜半(よわ)の御饌(みけ)」が8月第一日曜日に行われます。最初に登場した特産の「三ケ日みかん」を伊勢神宮に献納する神社でもあります。因みに、”惣社”とは、地域内の神社の御祭神を併せてお祀りしている神社のことだそうです。

 

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右側に灯篭を見ながら気持ちの良い『参道』を進めます。

 

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二つ目の鳥居をくぐり、さらに石造りの灯篭を左右に『拝殿』へ進みます

 

濱名惣社神明宮(本殿)

 

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拝殿の後ろの大輪山の中腹にある『本殿』は一般参詣者は立入禁止です

 

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すごく素敵な濵名惣社神明宮『拝殿』と、『扁額』

 

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『拝殿』の右側の鳥居をくぐると浩宮徳仁親王殿下御参拝記念植樹

 

拝殿でお参りを済ませ、拝殿右側の鳥居をくぐり、国指定重要文化財の『本殿』を目指します。

 

鳥居をくぐってすぐのところに「浩宮徳仁親王殿下御参拝記念植樹」と案内板が掲げられ「しめ縄」が張られた大木があります。この樹木は今上天皇(第126代天皇/浩宮様)が御手植えになられたということでしょうか?

 

そして、拝殿後ろの階段を登った先にあるのが『本殿』です。『本殿』は井籠造で、茅葺屋根を棟持柱にて支える「古代建築様式」を伝承する貴重な建造物で、国の重要文化財に指定されています。

 

御祭神は、日本国民の御祖神天照皇大御神で、天慶3年(940)に創祀されました。
豊臣・徳川歴代将軍に尊崇され四十二石の御朱印領を賜りました。
本殿は井籠造で、茅葺屋根を棟持柱にて支える、古代建築様式を伝承する、貴重な建造物です。
平成5年(1993)、国の重要文化財に指定されました。
例祭日 8月第一日曜日濱名惣社神明宮 宮司

(境内掲示板より)

 

国の重要文化財に指定されている本殿は、浜名神戸(伊勢神宮御神領)より伊勢神宮へ貢進(こうしん)品の収納庫として使われたといわれ、板倉造(井篭造/せいろうづくり)という全国でも類のない建造物で、柱がなく井篭のように板を組んで囲まれたもので全国的に見ても類のない建造物です。

 

神明造の特色である棟持柱を建て、屋根は茅で葺いてあります。千木(ちぎ)を延ばし、その上端を水平に切り、四本の勝男木(鰹木)を棟に頂いています。

 

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境内社

 

拝殿の左右には「天羽槌雄命社、天棚機姫命社、太田命社、浜名天満宮、須佐之男神社」の境内社が並んでいます。

 

・天羽槌雄神社(御祭神 - 天羽槌雄命/あめのはづちをのみこと)

 

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『天羽槌雄神社』と、『案内板』

 

『天羽槌雄神社』は静岡県有形文化財に指定されています。天照大神が天の岩戸にこもられた時、楮(こうぞ)の皮を繊維として布(木綿)を織って奉った神様だそうです。1987年(昭和62年)本殿を同時に遷座祭がおこなわれました。例祭日は1月3日。

 

・天棚機媛神社(御祭神 - 天棚機姫命/あめのたなばたひめのみこと)

 

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『天棚機媛神社』御祭神は天棚機姫命(あめのたなばたひめのみこと)

 

天照大神が天野岩戸にこもられた時神御衣(かんみそ/衣織物)を織って奉った神様で、機織の祖神として崇められています。初生衣(うぶぎぬ)神社より皇大神宮に貢献する神御衣の納置所として古例にならって現在も行われています。

 

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・太田命社(御祭神 - 太田田根子命/おおたたねこのみこと)

 

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太田命社

 

縣家(現在の縣榮一氏/あがたえいいち)の祖神といわれる大田田根子命(大国主命の五世の子孫)を祀っていて式内社である英多神社の御祭神です。(例祭日:1月3日)

 

・浜名天満宮(御祭神-菅原道真公)

 

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菅原道真公をお祀りする『浜名天満宮』

 

学問の神様として信仰が篤く、京都の北野天満宮より勧請し、1740年(元文5年)の再建や1769年(明和6年)の茅替えの棟札が納められているとのことです。例祭日は1月中旬の日曜日。

 

・須佐之男神社(御祭神 - 素戔嗚尊/スサノオノミコト)

 

疫病(伝染病)除けの霊験あらたかで、「お天王さま」として崇拝されています。1628年(寛永5年)に津島牛頭天王社より勧請しています。以来9回の社殿造営棟札が納められているそうです。例祭日は7月中旬の日曜日。

 

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末社合祀

 

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合祀されている末社の紹介が書かれた『案内板』と、入口の『鳥居』

 

平成13年1月、神社殿を造営し末社び八神社が合祀されたそうです。

 

・浮免・川崎八幡宮(御祭神 - 応神天皇、比売神、神功皇后)

 

・須佐之男神社(御祭神 - 素戔嗚尊)

・天満宮(御祭神-菅原道真公)

・貴船神社(御祭神 - 高龗神)

・白山神社(御祭神 - 菊理媛神)

・八柱神社(御祭神 - 五男三女の八柱の神)

・金毘羅神社(御祭神 - 大物主神)

・金山神社(御祭神 - 金山毘古命)

 

御祭行事

 

『濱名惣社神明宮』の例祭「三ヶ日祭り」は8月第一日曜日に行われているそうです。

 

宵祭には拝殿前で祭青年や愛煙会員による手筒、大筒、乱玉数百発の奉納があるそうですし、例祭日には打ち上げ花火、仕掛け花火、スターマインなど数千発の花火が打ち上げられるとか、町の皆さんも毎年の三ケ日祭りがきっと楽しみでしょうね。

 

それに、夜は御殿屋台や太鼓台12基が、笛や太鼓の賑わいで絢爛豪華に町中引廻しがおこなわれるそうです。うらやましい!参加したい!

 

万度石

 

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全国的にも珍しい『万度石』

 

この石は拝殿まで幾度も往復してお参りする時の基点に置かれた石です。「百度石」は神社仏閣でよく見かけますが、「万度石」は全国的にも大変珍しいものと言われています。
江戸後期の1839年(天保10年)に寄進されたもので、永年に亘る氏神への信仰の証といえます。

(境内案内板より)

 

さざれ石

 

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特別天然記念物に指定されている『さざれ石』

 

この石は岐阜県揖斐郡春日村産出の、特別天然記念物に指定されている石です。
国家「君が代」に詠まれているように、千代に八千代に年を経て小石が集まり巌となった貴重な石です。永遠の平和と繁栄を象徴する銘石と称えられています。(諸説あります)

 

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伊勢神宮の古材

 

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伊勢神宮の古材が残っています

 

この柱は、平成5年より20年間伊勢神宮の玉垣に使われたものです。
この度、第62回式年遷宮の撤去古材として、当神明宮に賜り本殿の鳥居と玉垣に再製いたしました。
これはその内の1本です。
  平成27年10月吉日 濵名惣社神明宮 宮司

(境内案内板より)

 

参照元:濱名惣社神明宮 - Wikipedia

 

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永遠の絆を育む木

 

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最近あっちこっちの神社で見かける『永遠の絆を育む木』

 

今は昔、この地も南北朝対立の影響を受け二分されていました。そんな中、南朝方の家の乙女と北朝方の家の青年が恋に落ちました。

二人は、ここ鎮守の森神池の畔で逢瀬を重ねていましたが、それは許されない恋でした。

二人が世を儚んでいると、杜の奥から鎮守の神が現れ、告げました。あなた達は木の精となりなさい。そして恋の成就の手助けをしなさい。

やがてここに、異なる二本の木が寄り添うように生えました。二本の木の根元は、まるで一本の木の様に結びついています。

そう、この木は、永遠の絆を宵む木なのです。この三ケ日版ロミオとジュリエット伝説はフィクションです。

 

遠州伝説『おしどり池』

 

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水源は『神池』

 

この池の水源は、濱名惣社神明宮の神域である大輪山の中腹にあります。
昭和の初めまでは、清水が池を満たし、下手にある「神田」を潤し、神饌米を豊かに実らせていました。
また昔は、祭礼の際に氏子たちが、この池の水で身を清め、夜を徹して祈り続けたと伝えられています。

それ故に、この池を神池と呼び神秘な場所として、今も大切に守っています。

(案内板より)

 

遠州七ふしぎの話に、現在の『濱名惣社神明宮』といわれる『式内郷社英多(あかた)神社』には池があり、という池があって仲のいい鳥を一緒に埋めてあげたという逸話から「おしどり池」と呼ぶようになったという話が残されていることを知りました。

 

この『神池』が伝承の池ではないでしょうが、せっかく池があったので、遠州七ふしぎの話を載せておきます。

 

昔、この近くに猟師を生業とする夫婦が暮らしていた。

ある日、夫が猟に出たが、思うような獲物がなく、諦めて山を下りていたとき、英多神社の前にある池に二羽のおしどりが仲良く泳いでいるのを見つけ、一羽を射止めた。

もう一羽には逃げられてしまったが、射止めた雄のおしどりを家へと持ち帰り、首を切って裏の竹藪に捨て、料理して夕飯に出した。

今日の話を妻にすると、妻は仲のいい鳥なのに可哀そうだと言った。

彼女は夫が生き物を殺すのを生業としていることを快く思っておらず、もっとほかの仕事をして欲しいと思っていた。

その夜、裏の竹藪で鳥の声がしたので、夫婦は目を覚ましたが、夫は特に気に留めなかった。

次の日、夫が再び英多神社の池のほとりへ行ってみると、そこには昨日射止めることのできなかった雌のおしどりが浮かんでいた。矢をつがえても逃げようとはしなかったため、簡単に射止めることができた。

水の上から拾い上げ、よく見てみると、雌の羽の中には昨日捨てた雄の首が抱きしめられていた。

驚いた彼は、昨日の妻の言葉を思い出した。

それから家へ帰り、裏の竹藪の中へ雌の死骸と雄の首を一緒にして丁寧に埋めてやると、その後、猟をやめて百姓として働いた。

それからこの池をおしどり池と言うようになった。

参考元:遠州七ふしぎの話 第2集

 

璽田稲荷神社(たまたいなりじんじゃ)

 

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この手水舎みたいなところに『璽田稲荷神社』⇒という案内板があります

 

この矢印通りに大輪山を進めていくこと約5分で、京都の伏見稲荷を思わせる『璽田稲荷神社』があるそうです。(今回は遠慮してしまった)

 

この『璽田稲荷神社』は『濱名惣社神明宮』の本殿がある大輪山にあり、京都の伏見稲荷の分神をお祀りした神社だそうで、伏見稲荷にちなみ、大輪山は「伏見山」とも呼ばれているとか。

 

地元では「璽田さん」として親しまれている神社で、この璽という字ですが、神璽(しんじ)の璽という字なんですって。神璽とは、三種の神器の一つ「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の別の呼び名だそうです。ひとつ利口になりました。(コトバンクより)

 

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最後に

 

今回『濱名惣社神明宮』を訪ねるため、浜名湖北岸から、9500~7500年前の縄文時代の人骨片が発見された『三ヶ日人只木遺跡』のある山を越え、東名高速道路[三ケ日IC]までを車で走ってみたのですが、起伏の激しい土地に本当にみかんが多い!という印象です。

 

すでにピークを過ぎたせいか、地面に落ちたみかんも含め三ケ日の町全体がオレンジ色というイメージで、晴れた日の青空とベストマッチで素敵な町で住みたくなってしまいました。ただ、割とあちこちに大きな石がゴロゴロしているのが気になりましたが・・・。

 

『濱名惣社神明宮』の拝殿や遠くから眺めた本殿の茅葺が、まさに伊勢神宮を思わせ古代の佇まいを感じることができましたし、境内がかなり広く大輪山をはじめ、『璽田稲荷神社』に5つの境内社、さらに末社の8神社、さざれ石に万度石と時間がどれだけあっても足りないくらいにお参りから、見学、妄想とゆくっりと過ごさせてもらいました。

 

まず、伊勢神宮が現在の三重県伊勢市へ遷る前に、40余日の間一時的にこちらへ祀られていたとういうところに惹かれますよね。

 

いろいろな説があるようですが、10代崇神天皇が即位して数年で疫病が流行し、人口が半分になってしまったことから、宮中に祀られているアマテラスと倭大国魂神(ヤマトオオクニタマノカミ)の力が強すぎるからでは?と考え、2つの神を宮中から出すことに。

 

娘のトヨに新しく神をまつる場所を探させた。という感じの話を聞いたことがある私にとって、かなり興味深い神明宮でした。

 

だって、あのアマテラスが伊勢神宮へ遷る前に、浜名湖北岸を通り三ケ日に40日間も滞在したなんて!60年も浜松で暮らしていても知らなかったことです。(多少の間違いはお許しください。まだ、徳川家康から八百万の神々へ興味が移ってから日が浅いのです)

 

とにもかくにも、家康から始まり、縄文・弥生・飛鳥・奈良の時代の歴史に興味を持ったことで、神社巡りがこんなに楽しいなんて、もっと早く教えてほしかったです。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。

 


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