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Channel: sannigoのアラ還日記
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今回の御前崎に鎮座する『白羽神社』は1200年もの歴史を誇る古社

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こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

これまで風の神とかいわれてきた天白信仰ですが、1980年ころからその起源を伊勢土着の麻積氏の祖神天白羽神(あめのしらはのかみ、長白羽神の別名)に求める説が紹介されることが多くなったといわれています。

 

遠江には白羽という地名が4ヶ所あり、『白羽神社』は浜松・磐田・御前崎と3カ所に鎮座しています。もしかしたら天白信仰に何かしらのつながりがあるのかな?と思っていたので、これまで浜松と磐田の白羽神社についてはすでに参拝させていただき記事にもアップしています。

 

すでに『天白紀行』という著書には、はっきりと”御前崎の『白羽神社』を訪ねたが天白との関わりはない”と書かれていたのに、それでも何かしら関連があるのでは?と期待を込めて訪ねてみました。

 

御前崎の『白羽神社』はなんと1200年もの歴史を誇り、武門武将の崇敬篤く、源頼朝以来白羽地区全体が神領で、桜ヶ池のある佐倉地区に土地を有したと伝わります。なるほど!境内に大きなお馬さんが置かれていたのはそういうことだったのですね。

 

お茶の産地として知られるお隣の牧之原市という地名は、国の公営牧場である官牧があったことが由来しているといい、この地方が馬の放牧地だったことから馬の守護神として崇められてきたとも聞きます。

 

確か磐田の『白羽神社』境内の由緒書きにも”掛塚湊の近くのこの地は「白羽官牧(馬)」の地と呼ばれます。文武天皇4年(700年)、この地を牧地として牛馬を放養し、牧官筑紫大伴某がこの社に奉仕していました。”ということが記されていたと記憶しています。

 

古社だけあってか現在も地元の崇敬篤く境内はとてもきれいに整備され、道路を挟んで参拝者用の広い駐車場もあるおかげで、とても清々しい気持ちでお参りさせていただきました。

 

御前崎の『白羽神社』

 

 

白羽(しろわ)神社 通称おしろわさま

 

 

鎮座地:静岡県御前崎市白羽3511

 

《アクセス》

 

電車・バス:JR[菊川駅]からバスで50分[白羽学校前]バス停下車、徒歩約5分
車:東名高速道路[菊川IC]より約25分
駐車場:道路を挟んで参拝者用駐車場があります
御朱印:いただけます。

 

御前崎『白羽神社』の桜が美しい御朱印(蜂もかわいい)

 

御由緒

 

『白羽神社』の全景、境内案内書き

 

創建は社伝によると平安時代の承和(じょうわ)4年(837年)に現在の地に鎮座したと伝えられており、1200年もの歴史を誇る古社です。

 

御前崎市が発行している『白羽地区学び歩きマップ』という、実に興味深い場所(例えば星の糞遺跡や芋爺さんの供養塔など)が多く掲載されているマップによると、『白羽神社』の由来として下記のように書かれています。

 

白羽神社の最初の祭神の名前「長白羽命(ながしろわのみこと)」から付けられたという説と、万葉集に詠われている志留波が転化したしたとの説がある。日本最古の歌集・万葉集に収録された防人(さきもり)の歌に「遠江 志留波の磯と爾閉(にへ)浦と合ひてあらば言も通はむ」とある。御前岩を頂点に西は尾高から、北は地頭方に至る荒磯の岩に砕ける白い波の景観から付けられたと解され、713年(和銅6年)に二字の嘉名を充てよという詔から現在の「白羽」の名になったと伝えられている。

※嘉名(良い名前)

 

やはり、本来の御祭神は織物の神・天白羽神(あめのしらはのかみ、長白羽神の別名)から、『白羽神社』という名前がついたという説もあるとのことですが、万葉集に詠われている志留波が転化したしたとの説も有力です。

 

手水舎と石塔

 

狛犬

 

 御前崎市指定有形文化財(建造物)
白羽神社本殿
   昭和四十四年六月二十五日指定

白羽神社は、社伝によると平安時代の承和四年(八三七)二月に現在の社地に鎮座したと伝えられる。

本殿は間口三間、奥行二間の入母屋流造で、様式上から江戸中期から後期半あたりの時代的傾向が認められる。屋根は杮葺で、地棰(じだるき)と飛檐棰(ひえんだるき)の二野軒で、いずれも繁棰(しげたるき)で構成されている。流れ屋根は四本の向拝柱(こうはいばしら/方形)で受け、柱をつなぐ頭貫(かしらぬき)は三梁の化粧虹梁(こうりょう)を使用している。頭貫の中備(なかぞなえ)は蟇股(かえるまた)になっており、構造上の役は無く、表裏の彫刻が異なった特殊な装飾であり珍しい。木鼻は象形の掛鼻で飾られている。

母屋(本殿)は台輪建てであり、台輪上に大斗をのせ出三斗で丸桁をささえる構造で、母屋柱は縁上の切目長押(きれめなげし)・その上に重なっる戸口下半長押・戸口上の冠木長押をもって柱を内外から挟み、横揺れを止める耐震的な構造をなしており、これは平安時代の意匠でたいへん珍しい造りになっている。母屋柱は方形より格の高い丸柱であり、いずれも亀甲形の彩色が施されたことが見て取れる。

柱間装置は、板唐戸(板扉)の上下に端喰(はしばみ)を入れ、扉の合わせ部の定規縁の面取りも大きく、古来の意匠を継承したものである。板壁は横嵌めであり、 板壁に蓮花と欄間部分には花鳥の彩描が施され、神仏習合の思想が如実に表れている歴史的に見て大変貴重なものである。御前崎市教育委員会 

(境内案内板より)

 

御祭神

 

本殿

 

1、天津日高日子穂々手見命(あまつひこひこほほでみのみこと)

御神徳:山幸彦として知られる神様 (海上安全・大漁満足)

2、豊玉毘賣命(とよたまひめのみこと)

御神徳:山幸彦の妻で、海神の娘 (良縁)

3、玉依毘賣命(たまよりひめのみこと)

御神徳:豊玉毘賣命の妹(農耕守護神)

 

ご利益

 

拝殿内と拝殿の扁額

 

交通安全・自動車清祓い・家内安全・商売繁盛・大漁満足・海上安全・初宮・七五三・厄除け等のご利益があるといわれています。

 

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白羽官牧

 

延喜式の「白羽官牧」に発生した牧場(馬)の守護神として、古来より馬持ちで参詣される方が多いため祭典を「白羽馬祭」と称したようです。遠近から参詣に訪れる馬はどの馬もきれいに着飾り、装飾の美を競ったといい、境内は馬と人で埋まるほどだったそうです。

 

近代農業は機械化されているので、馬に協力してもらうこともなくなりましたが、馬は疾走中でも絶対に人を踏むことのない霊獣ですから、現在は自動車交通安全の信仰に変わっているとのことです(白羽神社略記)。

 

神宮寺

 

また、白羽神社附属の神宮寺もあり、神社所蔵の棟札に神宮寺社僧の名前があるそうで、当時社僧が置かれていたことがわかります。

 

境内社・末社

 

小駄万神社 高根神社

 

熊野神社 日月社・天神社

 

境内社・末社の手水鉢と恵比寿様・大黒様

 

小駄方神社(おだかたじんじゃ)

高根神社

熊野神社

天神社・日月社

 

例祭日

 

4月10日(4月10日に近い日曜日)

 

神馬

 

神馬

 

大東亜戦争末期の昭和19年3月31日に、やむなく白羽神社内の神馬も一基も物資補益のため国家へ供出されました。現在の神馬は昭和50年6月22日に国家の平和と繁栄を祈り再建奉納されたものだと刻まれています。

 

横須賀街道旧跡

 

通称横須賀街道旧跡

 

『白羽神社』の前を通称横須賀街道の跡が残っていました。駿遠合わせて50万石の領主となった徳川家康の11子の頼宣の駿府から横須賀に移封が決まった慶長14年、駿府に居ながら横須賀を治めるために、駿府~横須賀間に馬次場を開いたのが通称横須賀街道の始まりといわれているとのこと。

 

この神社前に残された旧跡はその支道の一部であったとされます。当時の横須賀は東の相良と共に、城下町として栄え、この地方の政治・経済の中心だったようです。

 

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『駒形神社(白羽神社元宮)』

 

また、こちらの『白羽神社』から御前崎の先端方面へ車で約10分(約4.5km)の位置(御前崎市御前崎937-1)には、『駒形神社(白羽神社元宮)』が鎮座しています。

 

御祭神は現在の白羽神社と同じ海神で、『白羽神社』の元宮とされています。中には白羽神社は駒形神社の分社だとおっしゃる方もいらっしゃいますがよくわかりません。

 

『駒形神社』の御由緒書きには、”往古沖で遭難した九十頭の馬の内一頭が岸にたどりついた地とされる。残りの馬は沖の御前岩(駒形岩)と化したと云う。白羽神社の元宮とされる。”とあります。境内のお馬さんがこの伝承を物語っているような気がします。

 

御前崎市指定文化財の駒形神社本殿
駒形神社は縁起書によれば 531年(安閑天皇元年)鎮座したとあります。1571年(元亀2年) 武田の兵火により社殿が消失しました。本殿の再建造営は1630年から1650年代と思われます

(境内案内板より)

 

駒形岩


昔、厩崎(うまやざき/現在の御前崎)の沖で遭難した90頭の馬の内、1頭だけが岸にたどりついたという。残りの馬は「駒形岩」(現在の「お前岩」)と化したという。この「駒形岩」の「駒形」が社号になったという。

※岬の先端には厩舎(きゅうしゃ)が置かれていたために厩崎(うまやざき)と呼ばれていましたが、これが転じて御前崎になったというのが地名の由来です。 江戸時代までは定住する人も少なかったので地頭方村(じとうがたむら)の飛び地の扱いになっていました。


白羽官牧

 

また、駒形神社の鎮座地が延喜式に載る「白羽官牧」の地だといわれているそうです。『駒形神社(白羽神社元宮)』の社号の「駒」こそお馬さんのことですし、本来は農耕馬の霊を祀った神社ともいわれているようです。

 

白羽海岸

 

訪れたことのある方はよくご存じかと思いますが、海岸線を車で東へ進めると白羽海岸が砂浜なのがよくわかります。白羽は、南遠大砂丘の東端にあたり、国指定天然記念物の白羽の風媒礫産地があります。

 

風媒礫(単稜石、三稜石)とは、風に飛ばされた海岸の砂によって削られた石のことで、昔はたくさんあったといいます。ただ、今はこれまで観光に訪れた多くの皆さんが記念に持ち帰ってくれたようであまりないと聞きます。

 

ですが、すぐ東の御前崎に入るとそこは「磯」です。暖かくなるとタモとバケツを持った子どもたちが磯遊びを楽しむ姿が良く見られます。

 

引き潮の時は、ゴツゴツとした岩がたくさん見えて、砂浜を見慣れている私などはびっくりします。その岩が馬の群れに見えるという話はよく知られていて、数えてみたことはないけれど、89頭だったり、75頭だったりと興味をひかれませんか?

 

参照元:白羽神社 - 静岡県神社庁 お茶街道:地名のお話

   

というわけで、やはり現在の白羽神社には最初の御祭神である「長白羽命(別名天白羽神)の影はあまり感じられませんでした。天白信仰とのつながりがないことがはっきりした感じです。

 

ところが、まだ話は終わりません。白羽神社でいただいた「白羽神社略記」の中に”太古より白羽大明神と称せられ、延喜式榛原郡五座のうち白羽村鎮座の白羽大明神を以って服織田神社なりと考証されている。”とありました。

 

服織田(はとりだ)神社

 

実は「延喜式神名帳」に載っている服織田(はとりだ)神社と比定されている古社が、白羽神社から車で約25分(約15km)の位置、牧之原市静波に鎮座しています。

 

こちらの『服織田神社』は、景行天皇の7年(253年)に勧請されたと社伝にあり、御祭神は麻立比古命(あさたちひこのみこと/麻の神とされるが事象不詳)、天八千千比賣命(あまのやちぢひめのみこと/織物神/天棚機姫(あめたなばたひめ)神の別名)です。

 

麻立比古命とは、四国の服織から移住してきた人々が奉斎した神との説もあるようです。なんとなく、『白羽神社』よりも静波に鎮座する『服織田神社』の方が、天白信仰というか、伊勢土着の麻積氏の祖神天白羽神や織物との関連を強く感じられます。そんなことよりも253年の勧請とは?どんだけ歴史が深いのでしょう?

 

大化の改新以前に機織りの技術を持って朝廷に仕えたという服部(はたべ)、つまりはは秦氏ってこと?興味津々です。いつかご参拝させていただきたいと思います。

 

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最後に

 

今回は東遠の御前崎に鎮座する『白羽神社』、先回は西遠の浜松に鎮座する『白羽神社』、先々回は中遠の磐田に鎮座する『白羽神社』と3カ所の神社をお参りさせていただいて、天白信仰につながる情報を探してきました。

 

想像した通り、これら遠江の白羽神社3社にはあまり治水、農耕というイメージはなく、むしろ海に通じる海上安全や大漁祈願などがメインな気がしました。

 

それでも、磐田・御前崎の『白羽神社』には共通して延喜式の「白羽官牧」に発生した牧場(馬)の守護神としての成り立ちがあり、同じ神社名になっていることも理解できました。

 

浜松の『白羽神社』に関していえば、600年ほど前に井伊家とのゆかりの深い後醍醐天皇の皇子宗良親王が南朝の勢力を盛り返すために、吉野から集団を率いて東へ向かう途中大しけに遭い、船が遠州白羽にうちあげられた場所が白羽だと知ることができました。

 

遠江の井伊家といえば、井の国、水の国。井伊谷宮とくれば神宮寺川だし、古代から井伊谷の産土神として崇敬が厚い『渭伊神社(いいじんじゃ)』(浜松市浜名区引佐町井伊谷)です。

 

そして、神社の奥に広がる古墳時代から鎌倉時代までの巨岩祭祀遺構の『天白磐座遺跡』には「天白」の文字が入っています。だから天白信仰と直結するわけではないようですが、古代の磐座信仰の祭祀場だったことは確かなようです。

 

井の国の水田に治水は必要だったでしょうし・・・。と考え続けてしまうくらい歴史ってすべてがどこかでつながっているんでしょうね。もう楽しくて仕方ありません。

 

次回は北遠の『天白神社』を参拝させていただいたので、いろいろ歴史と絡めて楽しみたいと思っています。

 


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