こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
今回は昨年4月に参拝させていただいた徳川家康にゆかりのある『開田院』さんについてまとめていきます。
御前崎市の「あらさわふる里公園」の南側にある曹洞宗の寺院ですが、寺紋が「葵の御紋」なのでこれはもしかして?と思ったら、やはり家康公ゆかりのお寺でした。
なぜに御前崎の地で葵の御紋なの?と思われた方も多いかと思いますが、大河ドラマ『おんな城主直虎』をご覧になっていた方ならよく御存じなのではないでしょうか?
こちらの『開田院』は、長篠の合戦のとき家康のために戦勝祈祷をしたお寺さんで、御存じの通り長篠の合戦では勝ち戦となった織田・徳川連合軍。勝ち戦のお礼にと、徳川の家紋である葵の御紋を使うことが許されたそうです。
また、三方ヶ原の合戦で負けた家康公が逃げ回った際に立ち寄ったとも伝えられています。まさに家康公あるあるですね。受けた恩には必ず報いるというか、ちょっとしたことにも感謝を忘れない律儀なお方で、遠江や駿河ではお礼にと名字や土地をもらったりした話がいくつも残されています。
曹洞宗普嚴山開田院(かいでんいん)
住所:静岡県御前崎市下朝比奈156-1
《アクセス》
電車・バス:[菊川駅前]で「しずてつ菊川浜岡線公会堂・浜岡行き」へ乗車。約40分の[苗代田]バス停]下車。徒歩約47分で到着。
車:東名高速道路[菊川IC]から約23分
駐車場:あります
御朱印:かわいらしい御朱印がいただけます
御由緒


1575年(天正3年)4月、織田信長が名実ともに天下人となった長篠の合戦の際、開田院にて武田軍の調状の大祈祷を行い、織田・徳川連合軍が大勝。徳川家の武運長久の祈祷寺とされたのがこちらの『開田寺』です。長篠の合戦の大勝のお礼にと家康公から葵の御紋の使用を許されているそうです。




山号 普巖山
宗旨 曹洞宗
御本尊 延命地蔵菩薩
本堂 ※本堂内は撮影禁止でした。
「丸に二引き」の紋
こちらの開田院が葵の御紋の利用を許されていることと同じように「丸に二引き」の紋を授けられたのが、浜松市中央区天竜川町の『妙恩寺』です。
三方ヶ原の合戦の前哨戦ともいわれる『一言坂の戦い』で武田信玄に大敗を喫した徳川軍。本田忠勝がしんがりを務めたおかげでなんとか天竜川を渡り逃げ延びた家康公がたどり着いたのが『妙恩寺』。
助けを求めた家康公を住職の日豪上人は本堂の天井裏で匿い、追ってきた武田軍の大将が上人の父親であったにもかかわらず、何事もなかったかのように読経を続け武田軍があきらめて出ていくのを待ちました。
武田軍が出ていった後に上人は、家康公に食事まで出してもてなしたのでした。おかげで浜松城に無事にたどり着いた家康公は、後日城に上人を招き、「丸に二引き」の寺紋をお礼に授けたといいます。
「丸に二引き」は、家康公をもてなした食事のおわんに箸を載せた形をかたどったもので、感謝の気持ちが込められているのがよくわかります。現在も『妙恩寺』の寺紋は「丸に二引き」になっています。
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『開田院』をお参りしたあとは、すぐ近くの『あらさわふる里公園』がおすすめです。駐車場も多いですし、公園もすごく広いので1日中のんびり過ごせます。
あらさわふる里公園
住所:静岡県御前崎市下朝比奈158-7
休園日:木曜日(年末・年始休業)
営業時間:8:00~17:00(3月~10月)
8:00~16:00(11月~2月)
直売所は15:30まで
駐車場:無料駐車場があります
(梅)例年2月上旬~2月下旬
(桜)例年2月中旬~3月下旬
公式サイト:あらさわふる里公園
『あらさわふる里公園』の海抜119mの『展望台』からの景色は、ひと昔前の田舎の風景みたいで休息の日にぴったりです。またファミリーならバーベキュー、草滑り(芝スキー)が人気で、緑が多く自然あふれる公園として1年中多くの市民でにぎわう広めの自然公園という感じです。地元のお野菜も購入できるのも魅力です。


もちろんご年配の方も一休みしながら(少し坂が多いため)の散歩は気持ちよさそう。特にGW頃は新茶の緑が目に優しく、もこもことした茶畑を眺めるのもいいし、色鮮やかなつつじを愛でるもよし、藤棚の藤を見上げて清々しい香りを楽しむのもよしで1日中のんびりできそうです。


GW中に訪れる「こどもの日」近くになると、圧倒的な数のこいのぼりが真っ青な空の下で泳ぎまくります。影まで泳いでいるなんて見たことない風景です。


藤棚もあるので4月中旬なら、薄むらさき色の藤の涼やかな香りも楽しめます。










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最後に
先回までしばらく「天白神社」が続いていたので、少し離れて昨年お参りした御前崎市のあらさわふる里公園の南側にある、徳川家康ゆかりの『開田院』を記事にしてみました。
開田院を訪ねて真っ先に目につくのが「葵の御紋」です。このお寺がある「朝比奈」という土地が実は奈良時代から人の営みがあった歴史の深い場所だと知らないと、突然の徳川家康の登場に驚くかもしれません。
朝比奈(朝夷/あさひな)という地名は、奈良時代に書かれた奈良東大寺の東南院古文書の「刑部広浜優婆塞貢進文」770年(神護景雲四年)に見られ、御前崎市の地名としては最も古い資料に掲載されていることになります。
1554年には駿河、遠江、三河の三国を支配する今川家の所領だったはずのこの地にある『開田院』、1575年(天正3年)4月、織田信長が名実ともに天下人となった「長篠の合戦」の武田軍の調状の大祈祷を行い、織田・徳川連合軍が大勝。徳川家の武運長久の祈祷寺とされたのがこちらの『開田寺』ということですから、何かしらの事情を感じます。
最後にはやっぱり海抜119mからの一昔前の田舎の風景みたいな景色を載せておきましょう。仕事や人間関係で疲れた人間にとってこういう風景は堪らないのです。
最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。