こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
今回の遠江に鎮座する天白神社巡り⑨では、静岡県磐田市堀之内に鎮座する『天白(てんばく)神社をお参りさせていただきました。
こちらの『天白神社』が鎮座する磐田市堀之内は、天竜川の「竜」と太平洋の「洋」を合わせた町名の竜洋地区にあり、竜洋地区は読んで字のごとく西側には天竜川が流れ、南側は遠州灘の海岸線が広がる川と海に囲まれた水の町といえます。
天竜川の東側にあたるこの付近には「島」や「瀬」「新田」という地名も多く、暴れ天竜と恐れられる天竜川が何度も流れを変えたため、川の氾濫による影響をもろに受けていた土地で天竜川との関わりが深い地区のようです。
天白信仰は、本州のほぼ東半分にみられる民間信仰でその分布は長野県・静岡県を中心とし、三重県の南勢・志摩地方を南限、岩手県を北限として広がっています。
信仰の対象・内容が星神・水神・安産祈願など多岐にわたることから様々な研究・解釈が行なわれ、1980年ころから伊勢土着の麻積氏の祖神天白羽神(あめのしらはのかみ、長白羽神の別名)に起源を求める説が紹介されることが多くなったとウイキペディアにあります。
天竜川に苦労され続けた堀之内に暮らす人々が、治水と農耕の神である天白信仰に救いを求めたのは当然のことのように思えます。
ただ、この辺りでいつ頃から天白様が信仰されているのか、またどのように広がったのかは不明ですが、現在は田園風景が広がり、春には生き生きとした緑の稲と青空とのマッチングが、秋には金色に輝く稲穂と青空のマッチングが素敵な場所です。
『天白(てんばく)神社』(磐田市堀之内)
鎮座地:静岡県磐田市堀之内465-2
《アクセス》
電車・バス:JR[豊田駅]より徒歩約36分
バス[掛塚さなる台線]乗車[高木バス停]下車、徒歩約5分
車:東名高速道路[浜松IC]より約15分
東名高速道路[磐田IC]より約29分
駐車場:ありません
御朱印:不明
御由緒




創建年代は不詳ですが、手水鉢に1800年(寛政12年)と刻まれているため、江戸時代末期にはすでに存在していたことがわかります。
堀之内村(現在の磐田市堀之内)の氏神として奉祀されていましたが、1874年(明治7年)に郷社の『若宮八幡宮』に移転し、境内社として祀られていましたが、後に堀之内村民の請願により1883年(明治16年)に許可を得て、再び旧社地に本殿を建立、鎮座しました。
1928年(昭和3年)3月に失火により社殿全焼しますが、同年4月には本殿を再建し現在に至っています。(境内由緒板より)
天白神社(てんばく)
鎮座地 磐田市堀之内字蔵山四六五番地
御祭神 太田命(おおたのみこと)
例祭日 十月第二土・日曜日
由緒
創建年代不明なるも手水鉢に寛政十二年の石刻を見る。元、堀之内村の氏神として奉祀したが明治七年郷社若宮八幡宮に移転し、境内社として祀られていた。
後に村民の請願によって明治十六年十二月十九日許可を得て再び旧社地に本殿を建立、鎮座した。昭和三年三月九日夜、失火により社殿全焼、同五年吉日、 本殿再建今日に至る。遠江國風土記傳によれば江戸時代除地高二石。
(境内由緒書き)
御祭神
太田命(おおたのみこと)
太田命とは、猿田彦の子孫・えい孫ということになるようですが、猿田彦神の別名ともされるようです。(私としては太田命と大田田根子は同じ神ではないかと思っていますが・・・)
鎌倉時代中期に編纂されたと考えられている書物「倭姫命世記」(やまとひめのみことせいき)でも「猿田彦神の裔宇治土公氏の祖大田命」と主張するようになり、大田命の祖として猿田彦命の名前が登場するようになったとウイキペディアにあるので、太田命は猿田彦の子孫・えい孫ということになるようです。
また、猿田彦神の別名ともされ、倭姫命(やまとひめのみこと/垂仁天皇の皇女、豊鍬入姫命の姪)が天照大御神を奉じて鎮座の地を求め伊勢に至ったとあり、五十鈴川上の地を教えた神ともいわれます。『御鎮座伝記』『神名秘書』には太田命とは興玉神(おきたまのかみ)の別称で、五十鈴川上の地主神であると称されています。(神道大辞典 第1巻)
拝殿




1977年『天白紀行』の著者がこちらの堀之内の『天白神社』を訪ねた際には、天白神社の文字がどこにも見当たらず、焦っている様子が記されています。
著者が御神燈や境内、社殿をのぞいても見つからず、戻って社殿の全体を眺めたら、棟の上部に「天白神社」とあり「あった」と声をあげて叫んだそうです。
現在は立派な鳥居横にしっかりとした「由緒書き」もあります。もちろん棟の上部には横向きに大きく「天白神社」とあり、「これか」と私も小さく声をあげました。
本殿


天白信仰の考察
静岡県浜松市浜名区三ケ日町に鎮座する織物とのゆかりが深い『濱名惣社神明宮』の御祭神は、現在の天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)以前は、こちらの天白神社と同じ「太田命(おおたのみこと)」でした。(私的には太田田根子命(おおたたねこのみこと)ですが・・・)
同じ御祭神というつながりで『濱名惣社神明宮』を詳しく見てみましょう。以前お参りさせていただいた時の記事もあります。
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御祭神が同じ『濱名惣社神明宮』
『濱名惣社神明宮』は、平安から鎌倉時代にかけて伊勢神宮の神領であったこの一帯にある「浜名七神明」のなかでも、最も歴史が古く、格式が高い神明宮です。
浜名の惣社として又浜名神戸の本拠地として崇敬されてきた神社で、延喜式神明帳(901〜922年)に記されている遠江国浜名郡『英田神社』(あがたじんじゃ)に当たります。
境内社の『太田命社』では縣家(あがたけ/現在の縣栄一氏)の祖神といわれる太田田根子命(大国主命の五世の子孫)を祀っていて式内社である英多神社の御祭神です。例祭日は1月3日
境内掲示板によると、上古三ケ日地方を統治した浜名県主(あがたぬし)が、祖神太田命を祀り、その後天慶三年(940年)に三ケ日地方が伊勢神領になるに及んで天照皇大御神が主祭神となり太田命は従的位置になったものと推定されるとのこと。
参照元:太田命 - Wikipedia
興味深いのはやはり『濱名惣社神明宮』の摂社(本社に付属し、その祭神と縁の深い神を祭った社)の『太田命社』です。先に記したように式内社である「英多神社」の御祭神である太田命(太田田根子命)を祀っていますから。
ちなみに濵名惣社神明宮の摂社は下記の五社が鎮座しています。
〇太田命社(おおたのみことしゃ)
御祭神 - 太田田根子命(おおたたねこのみこと)
先に記したように式内社である「英多神社」の御祭神である太田命(太田田根子命)を祀っています
〇天棚機媛神社(あまのたなばたひめじんじゃ)
御祭神 - 天棚機姫命(あめたなばたひめ/日本神話に登場する女神)つまり、日本人の誰もが知っているであろう「七夕」で有名な織物の神様・織姫様が祀られています。
〇天羽槌雄神社(あまのはづちをじんじゃ)
御祭神 - 天羽槌雄命(あまのはづちをのかみ/日本神話に登場するの女神)
〇浜名天満宮 御祭神-菅原道真公
〇須佐之男神社 御祭神-素戔嗚命(すさのおのみこと)が鎮座しています。
さらに興味深いのは境内社の『天棚機媛神社』。
こちらで祀る天棚機姫命(あまのたなばたひめのみこと)とは、天照大御神が天岩戸から誘い出すために、神衣和衣(かんみそあえごろも)を織ったとされています。
ちなみに。天棚機姫神(あまのたなばたひめのかみ)は、天八千千比売命( あまのやちぢひめのみこと)や天衣織女命(あまのえおりめのみこと)という別名があり、機織りの神であることから栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)と同一神という説もあります。
信仰としては織物の神、機織の神として信仰され、全国の倭文神社、静神社、服部神社などで祀られています。
もう一つの境内社である『天羽槌雄神社』も同じように興味深い。
『天羽槌雄神社』で祀る天羽槌雄命(あまのはづちをのみこと)は、天照大神を天の岩戸から誘い出すために、文布(あや)を織ったとされます。文布とは倭文布とも倭文とも書き、「シドリ」また「シヅリ」という織物のことで、倭文(しどり)氏の遠祖でもあるとのこと。
この2つの境内社で祀られている天棚機姫命と天羽槌雄命は共に機織りの神として知られているのです。
『初生衣(うぶぎぬ)神社』
また浜松市浜名区三ヶ日町にある『初生衣(うぶぎぬ)神社』の御祭神も天棚機媛命(あまのたなばたひめのかみ)です。誰もが知る「七夕」の伝説に登場する有名な織姫様が祀られています。
初生衣神社が鎮座する地域は伊勢の神宮の神領(神社の所有地)であったため、地域全体が伊勢神宮とかかわりがあり、初生衣神社では800年を超える長い間伊勢神宮に神御衣(かんみそ)を納めてきたという歴史があります。また遠州織物発祥の地としてもよく知られています。
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1977年『天白紀行』を著した山田宗睦が三重・愛知・長野・静岡・山梨の5県を重点的に調査した結果「天白の起原を伊勢土着の麻続(おみ)氏の祖神で機織りの神だった天ノ白羽にもとめる」としました。
その影響でしょうか?1980年頃から天白信仰の起源を伊勢土着の麻積(おみ)氏の祖神天白羽神(あめのしらはのかみ/長白羽神の別名)に起源を求める説が紹介されることが多くなったとウイキペディアに書かれています。
また、『天白紀行』には「起源はそうだが、同時に苧麻を栽培した北勢の員弁(いなべ)の地でも治水農耕の神であった」と記しています。三重県北部の員弁とは古来伊勢の神領として苧麻(ラミー)の栽培や紡織が盛んであり「和名抄」にもその名をとどめています。
そして、何より天白の起源だという機織りの神だった「天ノ白羽」は、麻続氏の祖神で、苧麻(ラミー)の栽培や紡織が盛んな員弁は麻績氏の本拠地ですから、ここ伊勢から治水・農耕の神の天白が民間に広まっっていたと考えて問題はなさそうです。
鎮座地の竜洋地区とは?
先回参拝させていただいた磐田市池田に鎮座する『天白神社』も同じ竜洋地区、その池田には交通手段としての渡船があり、江戸時代には宿場町のような賑わいを見せた町です。
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同じ竜洋地区の掛塚は天竜川の中州であったため、天竜川河口という立地を生かした港として利用され、木材などの集積地として江戸時代は廻船業を中心として栄えた豊かな港町だったそうです。
掛塚まつり
また掛塚の「掛塚まつり」は有名で、貴船神社の神輿が町内を巡って御仮宮まで渡御し、再び神社に還ります。氏子たちは演奏される掛塚祭屋台囃子に乗って神輿の供をして屋台を引いていきます。
掛塚祭屋台囃子には優雅で静かな「御公卿囃子」、威勢のいい「入船囃子」などと数種類の囃子があるそうです。
中でも「御公卿囃子」の始まりは南北朝時代まで遡ります。後醍醐天皇の皇子である宗良親王が井伊谷に向かうため、1338年(延元3年)に伊勢の大湊を軍船で出航したのですが、暴風にあい遠州白羽港に漂着したことに関連します。
漂着し助かった宗良親王は井伊谷に向かう途中で掛塚の貴船神社の祭典に出会い、村人からの歓待を受けます。皇子の前途を大いに祈願してくれたことに感謝した随行者によって「御公卿囃子」が伝授されたと伝わっています。
まとめ
今回の遠江に鎮座する天白神社巡り⑨では、天竜川と太平洋に囲まれた場所である静岡県磐田市堀之内に鎮座する『天白(てんばく)神社』を参拝しました。ちなみに「てんぱく」と読むことも多い「天白」、今回の神社は「てんばく」と読みます。
こちらの御祭神が太田命ということで、同じく太田命を祀っていたという神社が三ヶ日に鎮座する『濱名惣社神明宮』です。
摂社には七夕で有名な織物の神様・織姫様である天棚機姫命(あめたなばたひめ)を祀る「天棚機媛神社(あまのたなばたひめじんじゃ)」 。さらにこちらも織物の神様である天羽槌雄命(あまのはづちをのかみ)を祀る「天羽槌雄神社(あまのはづちをじんじゃ)」 が鎮座しているのです。
もうひとつ浜松市浜名区三ヶ日町にある『初生衣(うぶぎぬ)神社』の御祭神も天棚機媛命(あまのたなばたひめのかみ)です。誰もが知る「七夕」の伝説に登場する有名な織姫様が祀られています。
まだ訪ねていないのですが、実は堀之内の『天白神社』から約3.1kmの距離の場所に『白羽神社』(磐田市白羽438)が鎮座しています。創立不詳ではありますが、文武天皇(689年〜707年)に、この地を集め牧地として牛馬を放養する牧官筑紫大律某が『白羽神社』に奉仕したと由緒書きにあり、御祭神は長白羽命(別名天白羽神)と倭健命他24柱とあります。
三ヶ日の『濵名惣社神明宮』辺りは平安から鎌倉時代にかけて伊勢神宮の神領であったこともあり、織物と関係が深いというのもわかります。その織物つながりの神様が祀られている磐田市白羽に鎮座する『白羽神社』、そして近くには今回お参りした『天白神社』。
これらのことから、1977年『天白紀行』を著した山田宗睦が三重・愛知・長野・静岡・山梨の5県を重点的に調査した結果「天白の起原を伊勢土着の麻続(おみ)氏の祖神で機織りの神だった天ノ白羽にもとめる」としたことと関連付けて考えることができそうではないでしょうか?
まあ、すべては『白羽神社』をお参りしてからということにさせていただきます。今回も最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。