こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
今回ご紹介する遠江の神社は、磐田の中泉にある『鹿宛神社(ろくおん)』とお隣の『連福寺』です。磐田市の中心部である中泉は、約1250年前の奈良時代には聖武天皇の勅願でなんと高さ66mの「七重の塔」まである『国分寺』が建てられた遠江の中心でした。
縄文・弥生さらに古墳時代には600基以上の古墳がつくられていたとし、2万年も前から人が住み始めたといわれます。さらに、奈良時代にはここ中泉に国府が置かれ、戦国時代には徳川家康が御殿がつくり趣味の「鷹狩り」を楽しみ、江戸時代にも陣屋がつくられた場所です。
そんな中泉の住宅街の佇む『鹿苑神社』は遠江国の二之宮とも言われる神社で、ここ二之宮の地名のいわれともなった式内社です。鹿宛神社の北側は『連福寺』と隣接する旧郷社で、創祀1600年といわれる古社です。
遠江国二之宮鹿苑神社(ろくおんじんじゃ)
場所:静岡県磐田市二之宮1767
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《アクセス》
電車・バス:JR[磐田駅]から徒歩約10分
車:東名高速道路[磐田IC]より約14分
駐車場:ありません ※磐田駅周辺の有料駐車場をおすすめします
御朱印:こちらではいただけませんが、同じ中泉の「府八幡宮」にていただけます。
鹿苑神社は格式が高く延喜年間に醍醐天皇の命により編纂された「延喜式」神名帳には式内社として名を連ねています。850年(嘉祥3年)に従五位下に叙せられ、860年(貞観2年)には従四位下が授けられました。
かつては、現在の場所から15里(約40km)も隔てた山間の地である杉村神戸島(かどじま/現在は門島と表記)小国六音大菩薩として奉祀され創建されました。それ以後500年近くの間、神戸島に鎮座されていました。
当時、国には一之宮、二之宮として神々を祀り、国司の巡拝順序が定められていました。遠江国の一之宮は現在の周智郡森町一宮の『小國神社』(御祭神は大国主命)で、二之宮は神戸島にあったこの神社だったことになります。
その後、第57代陽成天皇の881年(元慶5年)、磐田郡から磐田郡を割いて山香郡を置いたことに伴い、当時の遠江国司が山間地で巡拝に日数がかかる神戸島から、磐田市中泉にあった遠州遠江国府に近い現在地に遷座、または小国六音大菩薩社から分霊が勧請されたといいます。
こうして鎌倉時代からこの地は二之宮という地名になったそうです。『遠江風土記』によると室町時代の頃「鹿園神社は於保の郷十五ヶ村の惣社であり、御朱印二十三石を有し、往時は一之宮小國神社と併立され社殿宏大、社領三百石を有せり」とあります。
1268年(文永5年)には「遠江国二宮領」との記述があり、江戸時代には二之宮村など13ヶ村の総鎮守として多くの社領を有し、社領も300石もあったとのことです。
その後、戦国時代の兵火により多くの社殿、社宝等が焼失し一時衰退しましたが1623年(元和9年)、二代将軍徳川秀忠の時代に再建され、江戸時代には朱印地23石を安堵されました。
神紋は「十六菊」で江戸時代末までは「高根明神社」と称し、高彦根命を祀っていたそうです。磐田郡14社式内社の一社で、社格は郷社だったそうです。(境内案内板より)
古くから神仏習合し「鹿園大明神」や「高根明神」と呼ばれてきましたが、1873年
(明治6年)に郷社に列し、1907年(明治40年)に神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ/郷社、村社を対象に明治から終戦に至るまで勅令に基づき県令をもって県知事から、近年祭、新嘗祭、例祭に神饌幣帛料を供進された神社)に指定されています。
昭和20年以降、社格称号が廃止されますが、こちらは『鹿宛神社』と称し、郷土の産土神としてお祀りされ現在に至っているそうです。
主祭神
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大名牟遅命(おおなむちのみこと/大国主命/おおくにぬしのみこと)
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御神徳
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では、さっそく「手水舎」でお清めを済ませ、鳥居の端っこをくぐりお参りしていきましょう。
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本殿
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鹿園神社拝殿は木造平屋建ての入母屋です。
摂末社
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本殿の左に鎮座するのが『高根神社』(高日子根命)です。鹿宛神社祭神の御子神ということで、往古より玉垣内に祀られているとのこと。『高根明神』と呼ばれていたのは、この社があるからだそうです。
社殿の左に並ぶ摂末社は、それぞれ小さな祠ですが、祠の前に自然石の社号標が置かれ祀られています。
向かって左からお参りしていきましょう。
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〇『住吉大社』(住吉三神/イザナギが禊祓したときに海の中から生まれた底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神)
〇『八面神社(やつおもて)』(多紀理毘売命/タキリヒメノミコト・狭依毘売命/サヨリヒメノミコト・多岐都比売命/タギツヒメノミコト・正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命/マサカツアカツカツハヤヒアメノオシホミミノミコト・天之菩卑能命/アマノホヒノミコト・天津日子根命/アマツヒコネノミコト・活津日子根命/イクツヒコネノミコト・熊野久須毘命/クマノクスビノミコト)
〇『浅間神社』(木花開耶姫命/コノハナサクヤヒメノミコト)
〇『若宮神社』(大雀命/オホサザキノミコオト/仁徳天皇)
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〇『西宮神社』(事代主命/コトシロヌシノミコト)
〇『厳島神社』(市杵島姫命/イチキシマヒメノミコト)です。
ここまでお参りを済ませると、すぐそこが『連福寺』につながっていて『』が見えてきます。
『連福寺』
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『龍池山連福寺』は臨済宗妙心寺派のお寺で、御本尊は釈迦牟尼佛です。開創は807年(大同2年)で、弘法大師空海が厄除地蔵の石仏を作り、真言宗弘福密寺としました。石仏は現在でも大師堂に安置されています。
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その後、1156年(保元元年)に平清盛公の息子重盛公が追善供養のため、七堂伽藍を建立し、『龍池山連福寺』に改称されたと伝わります。
また、連福寺の本堂は、全長50m以上、後円部直径約50mの規模で前方部が西向きと推定される前方後円墳である『連福寺古墳』の上にあり、あの三角縁神獣鏡が出土しています。
あの三角縁神獣鏡とは、1965年(昭和40年)、本堂裏側の土塁状の土盛を削った際に銅鏡(三角縁神獣鏡・三角縁張氏作銘帯三神五獣鏡)が出土したものです。
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閻魔堂の閻魔大王像
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境内には市指定文化財で現存する閻魔像の中では、県内最大の『閻魔大王像』を安置している閻魔堂があります。この『閻魔大王像』は江戸時代の国分寺に祀られていたものだそうです。
「嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれるぞ!」と家族や親族一同、近所の人にまで脅され育った昭和世代の私にとっては天敵ともいえる「閻魔さま」じっくりとお顔を拝見させていただきました。
なんか怒っているというより、苦笑いをしているようなご様子に見えて少しホッとした気分になったのは、やはりここ『連福寺』というお寺さんの厳かな雰囲気からでしょうか。
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鎌倉時代から室町時代に作られた像で、高さは180cmもあり、現存する閻魔像の中では静岡県最大です。
檜の寄木造りで、冠にはかんざしを二本差し、前面には「王」という字が表されています。水晶が埋め込まれた眼は大きく見開き、口を開いて正面から、やや下を睨み、怒りの形相をしています。
胸の前には「日」と「月」を表した札をつけ、両手は少し曲げ、右手にはしゃくを握り、左手は指を伸ばして膝の上に置かれています。下の衣の間からは右足の沓が見えます。
焔魔堂の扁額は、幕末・明治の政治家・剣術家で明治初期に静岡藩権大参事を務めた「山岡鉄舟」の書によります。(焔魔堂案内板より)
重盛の三連寺って?
遠江国守だった平清盛の長子、平重盛が連城寺、連福寺、連覚寺の「連」のつく3つのお寺を建てたと言われ『重盛の三連寺』と言われているそうです。また、連城寺には平重盛の供養塔が現存しています。
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最後に
私が『鹿宛神社』と『連福寺』を訪ねた2月上旬は、ちょうどあちこちで「梅」が控えめに香りながら白や桃色の花を咲かせてくれ青空が広がる晴天、しかも風もなく穏やかでまるで春がやってきたかのように感じたよき日でした。
この平和が続きますように!地震や災害が起きませんように!とお願いばかりして申し訳ないと思いながら、写真まで撮らせていただき、このようなブログに書かせていただいていることに感謝です。
神社やお寺を自由に訪れることができる今の自由と平和が、私が住まう日本のみならず、世界へ広がるといいなと思います。
ちなみに、『重盛の三連寺』である「三白山連常寺」には、昨年さわやかウォーキングでお参りさせていただいています。ただ、連常寺の裏山にのぼらなかったため、平重盛とその父である平清盛の供養塔を拝む機会を逃してしまっています。次回は絶対に裏山に登らせてもらうつもりです。
最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。