<PR>こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
2024年のゴールデンウイークは、浜松ならではの『浜松まつり』もお酒解禁の通常スタイルに戻っての開催だったことと、お天気にも恵まれてたくさんの人手でにぎわったようです。とはいえ、GWも過ぎてとっくに6月も終わろうとしていますが・・・。
私のGWは通常の週末と同じように神社・仏閣をいくつかお参りしていました。今回は安産祈願で知られる浜松の名所『岩水寺(がんすいじ)』を紹介していきたいと思います。
岩水寺は、静岡県浜松市浜北区にある高野山真言宗別格本山の寺院で、山号は龍宮山です。地元では「家をまもるは岩水寺」と呼ばれ、古くから親しまれています。
一打100円で鐘をつくことができる鐘楼や、駐車場付近の小さな大仏などはお子様でも興味を持ってくれそうです。というのも、こちらの『岩水寺』、そもそも昭和初期まで遠州鉄道の前身「遠州電氣鐵道」が洞窟や巨岩奇石などの天然資源を利用してボテルをはじめプールや遊具を設置し『岩水寺遊園地』を運営していたそうです。
生きていたなら90歳後半であろう両親も、戦争のゴタゴタがなければ遠足やデートなどで楽しむことができた場所だったのかな?なんて想像しながら「金城稲荷社」や「四天王堂」、真っ赤な「神橋」、「赤池」などを散策するのは楽しかったです。
「春は岩水寺の桜から」と云われる桜の名所だったりとか、桜の季節に訪ねたい場所が一つ増えた感じです。また、浜名湖七福神霊場の一つで、本堂には福禄寿様がお祀りされていますし、遠江四十九薬師霊場の第二十八番札所でもあります。
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岩水寺
住所:静岡県浜松市浜名区根堅2238
<アクセス>
電車・バス:遠鉄電車[岩水寺駅]より徒歩約10分
遠鉄電車[西鹿島駅]より路線バス啓陽高[於呂バス停]から[岩水寺駅]まで徒歩3分
車:東名高速道路[浜松西IC]より30分
新東名高速道路[浜北IC]より約10分
駐車場:さくらの里公園の大駐車場の他数ヶ所に無料駐車場があります
御朱印:いただけます
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高野山真言宗別格本山の『龍宮山岩水寺』は、今から約1300年前の725年(神亀2年)人々の病魔退散、健康長寿を祈念した行基菩薩が薬師如来の尊像を刻み、開創されたそうです。
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そこから100年後、坂上田村麻呂の東征時に天竜川の龍神様が薬師如来の功徳により玉袖姫という美しい女性に変身し、田村麻呂と恋に落ちたという伝説が残されています。
その後、2人の間に生まれた一子赤蛇丸(後の俊光将軍)は立派な将軍に成長し人々の救済と幸せを願い、会ったことのない母親(龍神様)の魂が刻まれた厄除け子安地蔵を岩水寺に安置されました。
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2つの本尊(薬師如来・厄除子安地蔵)
〇総本尊 薬師如来(秘仏のためご祭典のみ公開)
総本尊様は815年(弘仁6年)、先年の薬師の変で心身を痛められた嵯峨天皇の病気平癒を祈願しての薬師如来で、天皇は健康を取り戻されたと伝えられ、体や心の病を治して下さる、無病息災、身体健全、病気平癒の仏様です。
山号の龍宮山は天竜川の龍神を祀るお宮を意味しており、明治の神仏分離令により薬師堂を中心とした岩水寺と、地蔵堂を中心とした龍宮山(水天宮/龍神=水天)とに分離される所だったそうです。
その時、住職が薬師堂から地蔵堂に移り住み抵抗したとのことで、現在どちらかというと地蔵の方が有名なのもその影響のようです。
〇本尊 厄除子安地蔵(秘仏のためご祭典のみ公開)
本尊様は厄除子安地蔵菩薩で国の重要文化財で、鎌倉時代作です。初代は弘法大師作と伝えられ、現在は2代目運覚作です。
御本尊の『厄除子安地蔵菩薩(国の重要文化財)』は天竜川の龍神であり、かつ母の化身であることから、「家をまもるは岩水寺」と呼ばれ、縁結び・安産祈願・子授け祈願、お宮参りなどの家の繁栄に功徳が高いといわれ、年間数十万人が参拝に訪れると聞きます。
〇脇本尊
脇本尊は、安土桃山時代作の弘法大師と不動明王。
旧脇本尊は、鎌倉時代作の大日如来で現在の大日堂本尊と、平安時代作の阿弥陀如来で現在の位牌堂本尊です。
では、さっそく駐車場に車を置かせていただいて、お参りと散策を楽しんでいきましょう。
大仏
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鐘楼堂と弘法大師像
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仁王門
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手洗所
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龍宮山岩水寺の本堂(地蔵堂)
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通称本堂と呼んでいる建物は客殿(地蔵堂)で度重なる火災により、何度か建て替えを繰り返しています。
岩水寺伽藍(薬師堂・太子堂)
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山門および太子堂は、江戸中期に建造された薬師堂も明治期に建て替えが行われた歴史的な建造物になります。
近年も修復が加えられ保存状態は良好であり、遠州地方における寺院の象徴的な存在です。”という「遠州山辺の道の会」さんによる案内板があります。
仁王門を出て左側に進みます。
赤池があり赤池地蔵尊弁天堂が池上にあります
赤池
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「天竜川龍神伝説」で、赤子を抱いた美女玉袖姫(30mもある大蛇)が2つの宝珠を坂上田村麻呂に「この子はあなたの子です。立派な武将に育ててくださいませ」と渡して消えた場所がこの赤池(閼伽池)で、現在「赤池薬師堂」になっています。
天竜川龍神伝説≫岩水寺 安産祈願・お宮参り・子宝・家内安全・開運厄除子安地蔵尊
さらに進むと左側に鳥居とその奥に真っ赤な太鼓橋が見えてきます。
鳥居
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太鼓橋
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四天王堂
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仏の国の守護神として、悪魔を征服し外敵と戦う武勇神です。衆生のあらゆる災いを守護し東西南北の四方を守っている四人の神さまを四天王と総称しています。
持国天(じこくてん)
東方を守護し、国土安泰・家内安全の神
増長天(ぞうちょうてん)
南方を守護し、商売繁盛・開運出世の神
広目天(こうもくてん)
西方を守護し、寿命長延・無病息災の神
多聞天(たもんてん)
北方を守護し、財宝財物・福運福徳の神
奥に進むと田村将軍神社があるようです。少し距離があるようなので、今回お参りすることをあきらめてしまいました。次回は必ず立ち寄りたい!
田村将軍神社
龍宮山岩水寺境内にある『田村将軍神社』は縁結び・勝運の神様 征夷大将軍将軍 坂上田村麻呂公をお祀りしています。境内社とはいえ距離があるため少し歩くようです。
坂上田村麻呂と玉袖姫との恋の話から、昔から「縁結びの神様」と言われています。
境内を掃除したりゴミを持ち帰ることにより、将軍様が感謝し、お地蔵様(玉袖姫)が良縁を恵んでくださると言われているようです。また、境内からは浜松市街を一望できるそうですので、次回は忘れることなくお参りしたいと思います。
参照元:岩水寺 - 岩水寺の概要 - わかりやすく解説 Weblio辞書
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赤池まで戻ってくると、前方に鳥居が見えます。インスタ映えしそうな真っ赤な鳥居がいくつか並ぶその奥に『金城稲荷社』があります。
金城稲荷社(きんじょういなりしゃ)
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案内板が鳥居付近にあるのですが、御神体が少し恐ろし気な白晨狐菩薩とのことで、少し怖くなってお参りは遠慮してしまいました。
古来より當山の鎮守守護神として尊山宗され祭神として荼吉尼天(だきにてん/吒天(だてん)とも呼ばれる/白狐に乗る天女の姿で表される)を本地仏として御神体は、白晨狐菩薩(びゃくしんこぼさつ)様をお祀りしております。
その霊力、御神徳は除災開運神、商売繁盛神、農業神として福運を多くの人々に授けていただいております。
つきましては、信心の皆様のさらなる功徳を積むために鳥居、提灯、のぼり(幟)の奉納をお勧めします。
茶枳尼天(だきにてん)=白晨狐菩薩(びゃくしんこぼさつ)
平安時代以降の神仏習合により、稲荷神が仏教の守護神「茶枳尼天」(だきにてん)の垂迹(すいじゃく/迹を垂れるの意の仏語/本体である本地としての仏や菩薩が、その衆生を済度(さいど)する目的で、仮に神や人間などの姿となって現われること)とされたことも関係があります。
荼枳尼天は元はインドにおける鬼神で、6か月前に人の死を知り、その心臓を取って食べるという恐ろしい女神です。
但し、日本に伝わってからは福神化され、茶枳尼天はまたの名を「白晨狐菩薩」(びゃくしんこぼさつ)と言い、キツネの霊とされ、狐に乗った稲荷女神の姿が広まります。このことから、いつの間にか一般民衆の間で、稲荷神の御祭神とキツネが混同して理解されました。
(金城稲荷社前の案内板より)
ちょっと不気味な『岩水寺ホテル跡』が長い間残されていましたが、現在は立派なお堂が2つ建っています。
岩水寺ホテル
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廃墟として知られることも多い『岩水寺ホテル』は、1970年代から根堅に存在した3階建てのコンクリート建築の宿泊保養施設です。落書きや人が破壊したであろう痕跡が残り「心霊スポット」と言われたことも多かったこの施設も、2016年頃には解体されたようで現存していません。
閉館時期をはっきりとは知りませんが、2004年頃には廃墟として言及されているという書き込みを見つけたので、約10年間「あの建物は何かしら?ちょっと気味悪いね」なんて言いながら脇を何度か車で走った記憶があります。
坂上田村麻呂の天竜川龍神伝説
1200年前、征夷大将軍坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)公の東北蝦夷征伐時、天竜川の龍神様が薬師如来の功徳により、玉袖姫という美しい女性に変身され、将軍様と恋に落ちました。
その後、一子赤蛇丸(後の俊光将軍)は人々の救済と幸せを願い、母親の龍神様の魂が刻まれた、厄除子安地蔵様(国重要文化財/伝弘法大師作)を岩水寺に安置されました。
ウイキペディアによれば
延暦年間(約1200年前)、坂上田村麻呂が勅命により東征。天竜川が荒れていた為、渡河する事が出来ず浜松市の船岡山に陣を張る。
1. 船岡山の鬼門方向にある岩水寺に参拝し、総本尊の薬師如来に祈る。
2. 岩水寺東側の天竜川(別名磐田の海)、袖ヶ浦にて玉袖姫が田村麻呂のもとに現れる。
3. 後に玉袖姫は田村麻呂の妃となり、やがて妊娠。産屋を建ててもらうが、中を絶対に見てはいけないと言う。
4. 7日経ち嵐の夜。姫が産屋を出ないため、遂に田村麻呂将軍は産屋の中を覗いてしまう。そこにいたのは姫ではなく赤い大蛇で、驚きながらも将軍は産屋に入る。
5. 大蛇は玉袖姫の姿に変身し、赤子と干水珠、及び子安の宝珠を将軍に託して寺の赤池(閼伽池)へ。そして赤池から鍾乳洞、さらに諏訪湖に帰る。
6. 7年後、赤子は赤蛇丸と名を変へ将軍と共に浜松へ再訪。天竜川は荒れていた。
7. 田村麻呂将軍は姫から授かった宝珠の内の一つ、干水珠を天竜川に投げ入れる。するとみるみる水が治まり、そこが陸地となった。(現在の浜松市中央区有玉地区)
8. 21歳となった赤蛇丸、名を坂上田村麻呂俊光と変える。嵯峨天皇に奏上し、母親の化身である地蔵菩薩を弘法大師に作って頂き、岩水寺に奉納。地蔵菩薩の胎内へ宝珠の内の一つ、子安の宝珠を納める。
9. 田村将軍の守り本尊、十一面観世音菩薩を祀る社として、白山妙理大権現宮が岩水寺鬼門に建立される。(本地垂迹説により白山妙理大権現と十一面観世音菩薩は 同体とされる。)
10. 田村将軍東征時の念持仏、阿弥陀如来を祀る社として、八幡宮が岩水寺裏鬼門に建立される。(本地垂迹説により八幡大菩薩と阿弥陀如来は 同体とされる。)
引用元:岩水寺 - Wikipedia
昔から”家を守るは岩水寺”と言われているのは、厄除子安地蔵様(龍神様)が母親であり、実際に子供を産んでいる女性が神仏になったという、非常に珍しい仏様だからだそうです。
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最後に
『岩水寺』といえば、~家を守るのは岩水寺~と大きく書かれた遠鉄バスを思い出す人が多いのではないでしょうか?
かくいう私も、節分の餅まきが楽しみだし、『県立浜北森林公園』のアスレチックコースや浜北原人が発見された根堅遺跡の近くということもあり、割とよくでかけます。
ですが、岩水寺周辺が昭和初期頃には『岩水寺遊園地』としてにぎわったことや、中央区に鎮座する『有玉神社』とつながる坂上田村麻呂の東征時の伝説と深く関わりがあることは知らなかったので、今回広い寺内を伝説を想いながらじっくりと歩けて良かったです。
来年のことを言うと鬼が笑うとか言いますが、豆まき&餅まきが行われるであろう『節分』にこちらの岩水寺を訪ねることができますように!
いろいろと不安なことが多いこの頃、平和に来年を迎えられるように週末の神社・仏閣巡りはしばらく続きそうです。
最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。