<PR>こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
今回訪ねた『平田寺(へいでんじ)』は、静岡県牧之原市にある臨済宗妙心寺派の寺院で、号は『吸江山(きゅうこうざん)』で、御本尊は釈迦如来です。
2022年9月には「お~いお茶杯第63期王位戦七番勝負」第5局が御行われたことで知られる『平田寺』ですが、来年放送予定のNHK大河ドラマ『べらぼう』では、静岡ゆかりの田沼意次を渡辺謙が演じると発表され、地元の皆さんは期待で胸を膨らませているという記事を中日新聞で読んだような気がします。
ドラマに登場する田沼意次が江戸時代に相良藩主に就任し、田沼家の御位牌を祀る香華寺として厚い庇護を受けたのが『平田寺』。田沼意次は、かつて「賄賂政治家」というイメージがあり悪役認定されていた感じですが、近年は経済手腕が再評価されているとのこと。
また、同じNHKの「ドラマ10」で放送されたドラマ『大奥』Season1で後の田沼意次である『龍』の演技がすばらしくて田沼意次を再認識された方も多いと聞きます。かくいう私も、Season1の鈴木杏が演じる何事にも屈しない平賀源内と、辛抱強く家重を支える『龍』が大好きでした。
Season1で龍を演じたのは沖縄出身の16歳「當真あみ」さん。元は吉宗(冨永愛さん)付きのとても辛抱強い小姓でしたが、家重(三浦透子さん)の小姓に任じられ、将棋を通じて家重の聡明さに気が付き、彼女を支え、側近として活躍していくという役をとても印象的に演じていらっしゃいました。
※昨年の大河ドラマ『どうする家康』でも、家康(松本潤さん)と瀬名(有村架純さん)の間に生まれた徳川家の長女・亀姫役で人気を博しましたよね。
というわけで、今回は田沼意次ゆかりの寺院としてもよく知られ、国宝「聖武天皇勅書」(非公開)や県指定文化財「平田寺宝塔」をはじめ、数々の貴重な歴史資料を所蔵している『吸江山平田寺』の紹介です。
来年放送の大河ドラマ『べらぼう』の放送が近づくにつれ、かなりの注目が集まること間違いなしです。
平田寺(へいでんじ)
場所:静岡県牧之原市大江459
《アクセス》
電車・バス:JR[藤枝駅]からしずてつバスで [新橋]下車、徒歩約13分
車・東名相良牧之原ICから車で約25分
駐車場:境内左側に20台分の無料駐車場があります
御朱印:他のサイトなどを見るといただけるようですが、今回はいただけませんでした
静岡県牧之原市にある『吸江山平田寺』は、鎌倉時代の1283年(弘安6年)年に開創された遠州地方で最も古い禅寺(臨済宗)の一つだそうで、松がうっそうと茂る境内には池の中に弁財天を祀る境内社もあり、格式の高さを感じます。
上杉憲藤(上杉憲房の子、犬懸上杉家の始祖)が龍峰宏雲禅師を招いて開山したのが始まりと伝えられています。開山の龍峯宏雲禅師は、室町幕府の初代将軍・足利尊氏の叔父といわれています。
相良地域の有力寺院として、今川氏、武田氏、徳川氏など数々の武将から尊崇されました。
1758年(宝暦8年)、田沼意次侯が相良藩主に就任すると、田沼家の御位牌を祀る香華寺として厚い庇護を受けたとのことで、田沼意次ゆかりの寺院としても著名です。
現在の本堂(市指定文化財)は、1786年(天明6年)に田沼意次によって再建されたもので、田沼家専用の玄関を備えた風格ある建物で、このような様式の寺を大名寺ともいうそうです。
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さらに、国宝「聖武天皇勅書」(非公開)や県指定文化財「平田寺宝塔」をはじめ、数々の貴重な歴史資料を所蔵しています。
また、境内には日本で初めて国際的に知られたオペラ歌手、”お蝶夫人”で有名な三浦環の記念碑(石碑の高さ30cm、幅38cm)もあるそうです。三浦環は令和2年度のNHK朝ドラ「エール」にも登場した有名人です。
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三浦環の遺骨は菩提寺である山梨県寿徳寺から分骨され、こちらの平田寺にも葬られ、彼女を称える「声の碑」という歌碑もあるそうですが、残念ながら見つけられませんでした。
さっそくお参りしていきましょう!
では、さっそく駐車場に車を置いて山門をくぐって、お参りしていきましょう。山門前には地蔵菩薩坐像や案内板にさまざまな石碑もあり、素敵なアジサイ畑も広がっていて親しみやすさを感じます。
山門
最初に現れた『山門」をくぐると、右手に『手水舎』がありました。奥には池の中に鎮座する『弁財天』を祀る境内社があったのでお参りしました。
手水舎
『弁財天』を祀る境内社
西国三十三観音霊場 第1番札所 石仏
天台宗那智山青岸渡寺(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)の本尊 如意輪観世音菩薩、如意輪観音が刻まれた石仏だそうです。
鐘楼
立派な鐘楼を眺めながら次なる『山門』をくぐり、いよいよ『本堂』をお参りしていきます。
山門
本堂
現在の本堂は牧之原市の指定文化財で、1786年(天明6年)に田沼意次によって再建されたものといわれています。
出かけた2024年6月17日には、本堂の左側上あたりの修理をされていたようでした。「田沼意次ブームに備えていらっしゃるのかしら?」なんて、同行した友人が言ってました(笑)が、ここで大事な田沼家専用の玄関(唐破風の玄関)が撮れてませんでした。残念!!
平田寺本堂
◎牧之原市指定(建造物)
本堂は戦国時代末期に焼失しましたが、相良藩主"田沼意次"により1786年(天明六年)再建されました。再建された本堂の桁は十一間半(約21m)、梁は八間半(約15.5m)、入母屋造銅瓦葺で格調の高い風格を今に伝えています。又妙心寺派の宗派の建築様式を伝えていることも貴重です。
左の唐破風の玄関は田沼家専用の玄関です。このような様式の寺を大名寺ともいいます。
昭和五十六年七月二十三日
牧之原市教育委員会
(山門前の案内板より)
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本堂左手にある藤棚と奥の『圓(円)通堂』?
本堂左手にある『地蔵菩薩立像』
国宝の『聖武天皇勅書』は宝蔵に大切に保管されているそうです。
聖武天皇勅書
◎国宝(書籍/非公開)
749年(天平感宝元年)聖武天皇(第45代天皇)が「天下太平万民和楽」を祈願して東大寺など十二大寺に布や田地などを贈りました。その時、東大寺・興福(こうふく)寺・元興(がんごう)寺・大安(だいあん)寺・薬師寺に勅書を与えましたが、このうちのひとつが平田寺に残っています。
なぜ、平田寺に伝えられることになったかは不明です。ただ1818年(文政元年)時点で既に当寺の所蔵となっていたという資料があります。
「勅」という文字は聖武天皇自身の書(宸筆/しんぴつ)で、唐風の気品のある書体です。紙一面に天皇御璽(ぎょじ/印)が朱で30捺印されています。聖武天皇直筆の他にも橘諸兄(左大臣)と藤原豊成(右大臣)の副署もあるそうです。(平田寺 (牧之原市) - Wikipedia)
昭和二七年三月二九日指定
静岡県教育員会
牧之原市教育員会 (山門前の案内板より)
※この勅旨は、国宝に指定され、非公開となっていますが、牧之原市史料館にレプリカがあり、見ることが出来るとのことです。
静岡県指定文化財の『平田寺宝塔』も大切に宝蔵に保管されているそうです。
平田寺宝塔
◎静岡県指定文化財(建造物)
鎌倉時代の「延慶三年」という 文字が台石に刻まれています。延慶三年は西暦1310年になりま す(約700年前)。また、造りの面からも鎌倉時代の特色が見られます。円筒形の塔身が普通であるのに、角柱状であるのは地方的 なものと考えられます。
もとは墓地にあったものですが、昭和五六年、貴重な文化財を風化から守るため、寺の宝蔵に移し大切に保管しています。(高さ93cm)
昭和四十五年六月二日指定
静岡県教育員会
牧之原市教育員会 (山門前の案内板より)
平田寺文書
◎静岡県指定文化財(著跡)
鎌倉時代から江戸時代にかけての平田寺の歴史を示す古文書47点。
内容は伏見天皇や後醍醐天皇の論旨、今川家からの安堵状、武田家の禁制、徳川家の朱印状などです。昭和五五年三月二一日指定
静岡県教育員会
牧之原市教育員会 (山門前の案内板より)
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最後に
今回訪ねた静岡県牧之原市にある『吸江山平田寺』は、鎌倉時代の1283年(弘安6年)年に開創された遠州地方で最も古い禅寺(臨済宗)の一つで、相良地域の有力寺院として、今川氏、武田氏、徳川氏など数々の武将から尊崇され庇護されたといいます。
1758年(宝暦8年)、相良藩主になった田沼意次が田沼家の御位牌を祀る香華寺として厚い庇護を受け、現在の本堂は、1786年(天明6年)に田沼意次によって再建されたもの、そのため田沼意次ゆかりの寺院としてよく知られているそうです。
国宝の「聖武天皇勅書」(非公開)や、県指定文化財「平田寺宝塔」をはじめ、数々の貴重な歴史資料を所蔵しているそうですが、見れなかったのは残念です。三浦環の記念碑の撮影と御朱印をいただき、牧之原市資料館に国宝の『聖武天皇勅書』を見るため、もう一度訪ねなくちゃ!と思っています。
最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。