こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
今回は、「アラハバキ」という名前の神社が、住まいのある浜松の北部にあると聞いてからずっと出かけたくてしかたなかった『荒鎺(アラハバキ)神社』をお参りしてきました。
浜松市浜名区(旧浜北区)の浜北森林公園のまだ奥の堀谷(ほりや)という山間部に『アラハバキ神社』は鎮座しています。ここはちょうど集落の境になるとのことで、村を守ってもらう意味も含めて祀られてきた神社だそうで、賽の神、岐の神という感じもします。
素朴な木の鳥居の奥に社殿はなく、そそり立つ大きな岩が見えます。目に見える部分だけでなく、まだ上に岩が続く大岩が信仰の対象であろう御神体で、つまり『磐座(いわくら)信仰』ですね。(磐座とは古代の人々が信仰した神が降りる場所、依代(よりしろ)のこと)
「社」は大和の神を祀るためのもので、それより古い神社ならば「社」を造らない習わしとも聞きますし、拝殿風の簡単な拝所には『荒鎺山(アラハバキヤマ)』と書かれた扁額?らしきものも見えます。大きな磐座の下には、いくつかの石碑が残されており「荒鎺土神」「念力霊神」と刻まれています。
一説によると大和朝廷成立の遥か前、天皇出現よりも前から信仰されているアラハバキ神、弥生時代を越える縄文の古代から信仰されていたのでは?といわれ、日本最古級の神とも聞きます。もともと日本列島に住むアイヌ民族の信仰であったとか⁉ともいわれています。
最近の縄文時代ブームにしっかりとはまってしまった感のある私にとって、東日本に多いアラハバキを祀っている神社の最西が、愛知県新城市の『石座(いわくら)神社』、同じく愛知県豊川市の『砥鹿神社』と聞けば、静岡県西部のこの『荒鎺(あらはばき)神社』もお仲間では?と思えるのです。
こちらの『荒鎺神社』周辺の雰囲気は、この辺りを舞台に、芸能を司る神として有名な天宇受売命(アメノウズメ)が上半身裸で踊って八百万の神々を沸かせ岩戸に隠れたアマテラスを救いだした時のような催しがあったのでは?と妄想を抱かせます。
今回は「浜北森林公園」からこちらの神社がある堀谷という場所まで、「最近できたのかしら?」と思えるほど広くしっかりと舗装された道路を約1時間かけて、小鳥のさえずりや新緑の香りをいっぱい感じながら歩いてみました。
『荒鎺神社』周辺に近づくと急に静謐な空気が流れだし、竹林のさわやかな香りが鼻口に広がり、ここが神聖な場所であったことを感じざるを得ませんでした。なんだか余計なものは一切纏う必要がないような”清々し気持ち”で鳥居をくぐることができました。
普段通り二礼二拍手一礼し、なんとなく縄文の世界を想いながら「いい場所だ!また来たいな」と感謝の気持ちが沸いてくる感じ、あなたにも感じてもらえると良いのですが。では、さっそく浜松市浜名区堀谷の『荒鎺神社』の魅力を詳しく探っていきましょう。
アラハバキ(荒鎺)神社
場所:静岡県浜松市浜名区堀谷(ほりや)509
<アクセス>
電車・バス:遠鉄電車[岩水寺駅]から徒歩約74分
車:新東名高速道路[浜松北IC]から約15分
浜北森林公園から静岡県道296号線を進み約6分
浜北森林公園[森の家]駐車場から徒歩約45分
駐車場:特にはありませんが、駐車スペースは道路を挟んだ場所にあります。
アラハバキ神とは文字として現在に残らない詳細不明の神格です。縄文時代から信仰されていたともいわれていますが、このアラハバキ神社の資料も残っていないようで、ほとんどはネットで拾ってきた情報になりますのでご了承ください。
御祭神
アラハバキ神社の御祭神は、荒鎺土神(アラハバキ神)と念力霊神のようです。
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では、さっそく『浜北森林公園』のバードピア駐車場に車を置いて『アラハバキ神社』を目指してのんびり自然を感じながら歩いていきましょう。
森林公園のバードピア近くの『堀谷口』から浜松カントリークラブを右側に見ながら進めます。
『浜松市上水道 四大地配水池』の丸い建物が見えたら、しっかりとしたアスファルト舗装の道路に出るので道なりに右側に進みます。そのまま県道296号線をひたすらまっすぐに進みます。
右前に注連縄のある巨岩が見えてきました。左側には念願の『アラハバキ神社』の素朴な木の鳥居が見えます。注連縄が張られた鳥居をくぐってお参りしていきましょう。
素朴な木の鳥居
手水鉢
手水鉢に張られた手書きの案内板
何の案内板も見つけられない『荒鎺神社』ですが、手水鉢にどなたかが書いてくださった手書きの案内板というか、近くの名所の地図みたいなものが取り付けてくれてあり助かります。
しっかり見たら、『荒鎺神社』の奥には「六所神社」(奇宮摂社)や、「木喰仏」(市重要文化財)があったのに・・・。今回たどりつけず残念!梅雨入り前にはリベンジする予定です。
興味深い「六所神社」
アラハバキ神社と同じ浜名区堀谷499-1に『六所神社』はあります。こちらの「六所神社」は長谷神社の摂社で、御祭神が伊弉諾命(イザナギノミコト)・伊弉冊命(イザナミノミコト)・天照大神(アマテラスオオミカミ)・蛭子命(ヒルコ)・月読命(ツクヨミノミコト)・素盞嗚命(スサノオノミコト)とのことで、日本神話に登場する神様の登場で非常に興味深い神社ですし、この辺りには「六所神社」が数多くあるのも興味深いところです。
6柱の神を祭神とするとか、6つの神社を合祀したとかいわれる「六所神社」ですが、定説はなく管内の神社を登録・管理し統括する「録所」の意味でもあるという説、「録所」は墓地という説、住吉神社を祀るもの、ミシャクジ神などの縄文神を祀るものと注意が必要な神社が多くあるそうです。
拝殿風の簡単な拝所
鳥居の後ろ、大きな岩の前には拝殿風の簡単な拝所があります。拝所の天井辺りには「荒鎺山」と書かれた扁額があるのが見えます。
ゴロゴロとした岩や石で造られた石垣が古(いにしえ)を感じさせます。ちょっと広い平場では祭事などが行われたことでしょう。
磐座
案内板によると”上に観える磐座にアラハバキ神が宿っていると崇拝されています。以前は道路を挟んだ岩との間に注連縄が渡されていたそうです。”
とのことから、こちらの磐座には今でも”記紀以前の縄文時代から信仰された太古の神と考えられている”というアラハバキ神が宿っているとされ、現在も大切に信仰されているようです。
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御神体前の石碑たち
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御神体の右横には『稲荷神社』?
御神体の大きな岩の横の岩面の小さなお社には、神様のメッセージを伝えるという神の使いの狐が左右に並んでいます。多分お稲荷さんではないでしょうか?こちらもお参りさせていただきました。
平場の中央の小さな岩
平場に小さな岩があります。ちょっと歩く場所にあると邪魔な感じもしますが、ある方は大きな磐座から落ちてきた(落石)した「かけら」ではないだろうか?と推察しています。
やはり御神体の一部ですからむやみに動かすこともできず、落ちてきた場所にそのままお祀りされているのでは?という考察です。私もそんな気がします。
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社務所?
磐座の前の平場の右奥に立派な社務所と思われる建物があります。黄色に塗られた部分が気になります。何かしらの案内文が載っていたのかも?左下に小さな案内板があります。
上に観える磐座にアラハバキ神が宿っていると崇拝されています。以前は道路を挟んだ岩との間に注連縄が渡されていたそうです。
案内板には上のように書かれています。確かに道路を挟んだ場所に大きな岩がそびえていました。
道路を挟んだ場所のしめ縄が施された磐座
道路を挟んだ場所にも大きな岩山があり、しめ縄が施されています(写真がわかりずらくてすいません)。磐座には男石と女石があり2石で1対という説もあるそうです。
境内の案内板によると、かつては道路を挟んだ岩との間に注連縄が渡されていたと書かれているので、もしかしたら、鳥居側の磐座と道路を挟んだ岩山も、かつては1対だったのかもしれないのでは?なんて妄想も浮かびます。
故陸軍歩兵勲等氏原孫蔵之碑
磐座岩面の左奥には「故陸軍歩兵勲等氏原孫蔵之碑」と刻まれた石碑があります。
堀谷までウォーキングで出かけた私、あちこちの看板からこの地域には氏原(うじはら)という姓が多いと感じていたのですが、ここにきて氏原さんを悼む碑があったため、ちょっと氏原姓を『日本姓氏語源辞典』で名字の由来を語源を調べてみました。
高知県、静岡県、愛知県。藤原の異形。高知県高岡郡佐川町永野植生の川では1601年(慶長6年)に藤原姓から改姓したと伝える。高知県高知市丸の内が藩庁の土佐藩誌に江戸時代にあった。山梨県北杜市白州町花水で藤原氏の後裔との伝あり。藤原(フジワラ)参照。静岡県浜松市浜名区堀谷では草分けと伝える。愛知県設楽郡設楽町神田では菅原氏の後裔と伝あり。菅原(スガワラ)参照。
引用元:「氏原」(うじはら)さんの名字の由来、語源、分布。 - 日本姓氏語源辞典・人名力
結果、全国には約5,500人の氏原さんがいらっしゃり、1位の高知県には約850人、2位の愛知県には約780人、3位の静岡県には約710人いらしゃることがわかりました。さらに、市町村では全国で1番氏原さんが多いのは、ここ浜松市旧浜北区で、約330人を占めているようです。
氏原姓は現長野県である信濃が起源(ルーツ)である、中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)秀郷流。 現大阪府北部と兵庫県の一部である摂津にもみられる。 「原」は野に対して平らな広いところを表す。
引用元:氏原さん静岡県浜松市浜北区ランキング|名字検索No.1/名字由来net|日本人の苗字・姓氏99%を掲載!!
なんだか、この堀谷という場所は歴史的にも深い地域なのではなかろうか?と感じます。
磐座信仰で知られる周辺の神社
冒頭にも記しましたが、東日本に多いアラハバキを祀っている神社の最西が、愛知県新城市の『石座(いわくら)神社』、同じく愛知県豊川市の『砥鹿神社』と聞けば、静岡県西部のこの『アラハバキ神社』のほかにもお仲間があるのでは?と調べてみました。
『渭伊神社』
「井伊谷宮」近くの引佐町井伊谷1150の『渭伊神社』の後方の薬師山には、磐座(天白磐座遺跡)の巨石群があり磐座信仰で知られています。
また、本殿右手には摂社「モロード様伊豆社」があり、御祭神は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)なんです。
モロード=客人神と名乗ってしまっている不思議な社ですが、後から進入してきた部族が主祭神を据え、元の先住の神を摂社に追いやって客人神にしていることを隠しもしない不思議な摂社です。
『高根神社』
浜松市浜名区尾野2850の『高根神社』も本殿が拝殿東側の磐座の上にあり、鎖伝いに垂直に近い崖を登った所にあることで知られます。
また、ロープ伝いに本殿の上へとさらに登ると古墳があります。(本殿の西側には、太平洋戦争末期に高根山に砲台を築くために掘られた塹壕跡も残っているそうです)
どちらさまも、興味津々ですので、ぜひ梅雨入りする前にはお参りにでかけたいと思っています。
縄文時代から信仰される「謎の神」アラハバキとは?
八百万(やおよろず)の神といわれるように、日本には数多くの神々の存在がありますが、謎多き神様アラハバキ、漢字による表記は[荒吐][荒羅吐][荒脛布][阿良波々岐]などといろいろですが、このアラハバキという神様を皆様はご存知でしたか?
全国の摂社・末社でひっそりと伝えられてきたと言われるアラハバキとは一体何者なのでしょうか?
出雲大社や伊勢神宮の末社などで隠れ神として、また関東から東北地方などで客人神(まれびとがみ/門客神)として信仰されてきた神でありながら、詳しい解明がされておらず、日本書紀・古事記や伝統的な民話にも登場しないことから記紀以前の縄文時代から信仰された太古の神と考えられているようです。
脛(はぎ)に佩く(はく)「脛巾(はばき)」の神、また足の神とされてきたそうです。多賀城市の『荒脛巾神社』の「おきゃくさん」は、旅人らから脚絆等を奉げられてきたことから下半身全般を癒やすとされ、男性性器をかたどった御神体も奉げられるそうです。
明治の神仏分離以降、各神社の祭神は記紀神話の神々に比定され変わってきましたが、荒脛巾の場合は「脛」の字も相まって、大和朝廷(神武天皇)に破れた側の「長脛彦」とされることもあるようです。
『東日流外三郡誌』は偽書とされながらも、このアラハバキは「縄文の神」説、「蝦夷の神」説が定着しているようです。
また、あの極端に大きなかわいい目の表現がスノーゴーグルに似ていることから『遮光器土偶』(しゃこうきどぐう/亀ヶ岡石器時代遺跡から出土した/JR五能線の駅の顔)、日本で最も良く知られる土偶が「アラハバキ」のイメージとして世間に広まっていると聞きます。
さらに、アラハバキには「女陰説」「蛇神説」「塞の神説」「製鉄民設」などもあります。
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最後に
今回は念願の磐座信仰の『アラハバキ神社』をお参りすることができてうれしかった記事になります。
お天気に恵まれ気持ちの良い青空の下、新緑あふれる山中をのんびり往復2時間くらいかけてウォーキング!も兼ねての御参拝でした。もちろん車で10分という手もありますが、新緑の香りや鳥のさえずりまで味わえるこの季節のウォーキングは最高です。
古代の人々が神が宿るとされる石を対象にする自然崇拝『磐座信仰』のアラハバキ神社で、大きな岩を拝むことができる時代に生まれたことに感謝です。
30歳で寿命を迎える点は少し悲しいけれども、急な温暖化でドングリやクルミ・クリなどが豊富に実るし、魚も豊富で狩猟で暮らせるあこがれの縄文時代を知ることができたのも、現代の暮らしのおかげですから。特に差別のひどい時代だったら歴史を学ぶこと、本を読むことすら許されなかったかも?です。
縄文時代は奪うことなく与える時代だとか、言葉はなくともテレパシーと通じ合えただとか聞きますけど、それでも何かしらの大きな事件や小さな事件は起きたのでしょう。そんな不安な時に人々は救いを求めて山・樹木・石などに神が宿ると考え崇拝したそうです。
戦争が起き終わらない世界、円安や物価高騰、給料が上がらない、大きな地震・津波が来るとか現在の日本、これらの状況から考えて、大きな不安を感じるのも仕方ないです。
それでも、これまでの長い歴史で御先祖さまが築いてくれた今の暮らしは、歴史的に見ても「かなり良い暮らし」の部類では?なので、現在ならではの前向きな気持ちで神様にもすがりながら、運命の時を待ちたいと思います。今回もかなり良い機会になりました。
最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。