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『息(おき)神社』の不思議なモニュメントのような『手水舎』は非常に興味深い

こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回お参りさせていただいた遠江の神社は浜松市中央区にある県内で唯一『志那都比古神(しなつひこのかみ)』と『志那都比売神(しなつひめのかみ)』を祀る神社『息(おき)神社』です。

 

奈良時代からと1500年以上の歴史のある古社で、3月初牛日近くの日曜に行われる「田遊祭(たうたさい)」は有名で開催時には毎度地元の新聞記事になります。

 

また、すぐ東側にある『中村家住宅』で徳川家康の次男結城秀康が産まれたことから産土神となり、徳川家との縁があるようです。

 

こちらに伺ってまず目を引いたのが、アイキャッチ画像をみていただければわかる「不思議なモニュメント」のような『手水舎』です。

 

最近歴史に興味津々で検索しまくりの全国の神社の写真でも「三柱鳥居」などのような異形の鳥居はよく見かけますが、”手水舎といえば龍”というイメージで、こちらの不思議な形の手水舎にはなにかしら惹かれるものがあります。

 

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不思議なモニュメントのような『手水舎』は非常に興味深い

 

 

息(おき)神社

 

 

場所:浜松市中央区雄踏町宇布見8690-9

 

《アクセス》

 

電車・バス:JR[舞阪駅]から徒歩約21分、[弁天駅]から徒歩約47分

車:東名高速道路[浜松西IC]から約5分
駐車場:2台程度の駐車場が道路沿いの境内脇にあります。近くの『中村家住宅』の駐車場に車を止めて見学したあと、ついでに『息神社』もお参りするなら『中村家住宅』の駐車場に少し停めさせてもらうという手もありそうです。

御朱印:参拝後に宮司様に連絡して「自宅まで来てください」とのことで、ご自宅でいただいた方はいらっしゃるようです。

 

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息神社御由緒

 

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『息神社』の石碑と、案内板

 

社伝によると705年(慶雲2年)の勧請とされ、延喜式に載る式内社で、852年(仁寿5年)従五位下を受け、官社に列せられた神社です。

 

中世には山城国稲荷山の三神を迎え、『米大明神』と呼ばれていたそうです。棟札にも「米大明神」とあることから、「米(こめ)」が「許部(こべ)」と通じ、式内社の『許部神社』とする説もあるとか。

 

江戸時代には徳川家光より朱印地十石を下付され、1795年(寛政7年)神紙伯王殿より正一位神翼を賜ります。1874年(明治7年)郷社に列し、1895年(明治28年)『息神社』に復帰し、御祭神は「風神」志那都比古神で、沖に座す神として「海神」ともいわれます。

 

御祭神

 

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しっかりとした「定」と、何かしらが刻まれた石碑

 

・志那都比古神(しなつひこのかみ/イザナギとイザナミの間に生まれた風の神)

・志那都比売神(しなつひめのかみ/『日本書紀』でのシナトベは女神とされるここともあり、神社によってはしなつひこの姉、または妻とされる風の神)

 

その後、中世には『山城国稲荷山』の五穀を司る稲荷神三神を迎え、「米大明神」と称したとのことです。

 

・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ/稲荷神社に祀られる神)

・猿田毘古神さるたひこのかみ/天孫降臨の時ニニギノミコトを道案内した神・道祖神・先導の神)

・大宮比売神(おおみやのめのかみ/もともとは宇迦之御魂神を祀る巫女だったが、のちに神格化され神となり、市の守り神として信仰されるようになった)

 

御祭神の志那都比古神(しなつひこのかみ)は、『古事記』でイザナギとイザナミの間に産まれた風の神と記される風神、別名「風の難を防ぐ神様」として知られます。『日本書紀』では、志那都比古神は、イザナミが朝霧を吹き払った息から生まれたシナトベノミコト、またはシナツヒコノミコトでこちらも「風の神」とされています。

 

船の転覆や潮風による塩害。干した布団も飛ばす遠州名物「遠州からっ風」を恐れた祖先が、「船の転覆や潮風による塩害。風水害の原因になった「遠州からっ風」を鎮めるために風神をお迎えしたのでは?と由緒を語る氏子総代の方の記事が中日新聞に掲載されていました。

 

古の頃は”神様の息”ということで「お息」と言われていたものが、時代とともに「おき」になり、現在も「おきじんじゃ」と呼ばれ親しまれているそうです。

 

志那都比古神の御利益は、最近は震災、台風被害などから災害から身を守るとされ、『息神社』の神社名にあやかり、風邪や喘息など「息の病」になどの祈願をする参拝者が多いとか。

 

田遊祭(たうたさい)


3月に行われる五穀豊穣を願う『田遊祭』では、拝殿中央に「田所(たどころ)」を造り、そこを中心に祭事が行われます。この『田遊祭』は田打ち苗代の選定など五穀豊穣を祈願する神事として宮座によって行われてきたのですが、現在は神楽歌が残り舞は絶えてしまったとのこと。

 

現在は参列者たちが、種まきや代かきといった米つくりの手順を歌う「田遊神楽歌」を唱和します。

 

また、10月の第2土・日曜日には秋季祭典が行われます。館車(かんしゃ)と呼ばれる屋台と大太鼓の音ともに、雄踏町宇布見の字を周ったあとに神社境内に集合するそうです。

 

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宝物 指定文化財

 

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宝物が保存されているであろう『宝物殿』と、丸くてかわいい『灯篭』

 

《静岡県指定文化財》

室町時代の古面7点、1374年(応安7年)の墨銘ある獅子頭など二頭。

《浜松市指定文化財》

1501年(文亀元年)の銘がある棟札12枚

《指定以外》

1793年(寛政5年)出雲藩主松平治郷公のご染筆による「正一位米大明神」の社号額。江戸時代の祭神面7点。

1748年(寛延元年)弓の献額「金的中」など7点

木製狛犬 1695年(元禄8年)の墨銘がある。

1477年(文明9年)蓋書がある面箱。その他。

 

では、さっそく歴史がありそうな石鳥居をくぐりお参りさせていただきましょう。


石鳥居

 

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八世の渡邊郡蔵が隠居した後の大正6年に奉納した『石鳥居』

 

息神社参道に建立されている石鳥居は、八世の渡邊郡蔵が隠居した後の大正6年に奉納したものだそうです。石鳥居の裏面に、次の文字が刻まれています。

[石鳥居右側裏面]

渡邊半藏源網後裔渡邊郡藏源綱正享保元年四月十七日(1716)
自尾州大山當村来住現住所東京深川渡邊郡蔵綱正 

[左側裏面]

 大正六年十月十日 家紋 一族 渡邊兼次郎/渡邊一郎/渡邊和太郎/ 渡邊俊/渡邊渡 

 

これによると、渡邊家は享保元年犬山藩から宇布見に移り、住み着いている。家紋は三ツ星に一文字で、渡邊家の代表的な家紋である。一族の名目が刻まれているが、この後に再び表れる渡邊兼次郎、渡邊俊。同族の名前を記憶してもらいたい。
               

というようなことが意味のようです。(境内展示物より)

 

手水舎

 

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三本の柱に支えられたモニュメントのような『手水舎』

 

拝殿・本殿

 

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拝殿の前に並ぶ『狛犬』

 

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『息神社』の拝殿と、扁額

 

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奥にある本殿?と、何かしらが刻まれている石碑

 

境内

 

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境内は背の高い木が多い鎮守の杜、遊具などもあります

 

境内はとても静かで、小鳥のさえずりが聞こえる自然がたっぷりな場所です。時間さえ許せば、いつまでものんびり過ごしたくなります。

 

子どもが遊べるようなスペースもあるので、休日は賑やかなのかもしれませんが、私が訪ねた土曜の朝は男性が1人お参りしているだけでした。

 

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最後に

 

今回参拝させていただいた『息神社』ですが、社伝によると705年(慶雲2年)の勧請とされる延喜式に載る式内社という、由緒正しい古社です。705年というと奈良時代で、文武天皇のころでしょうか?

 

まさに古の時を思い浮かべるのにふさわしい場所ではないでしょうか?710年には奈良の平城京が都と定められるわけですから、乙巳の変で権力を握っていた蘇我蝦夷・入鹿父子が打倒されたあとの時代ですよね。

 

645年といえば、我々の時代は「大化の改新」でしたが、最近は「乙巳(いっし)の変」らしい(笑)645年(大化1年)の蘇我氏本宗の打倒に始まる内政改革ですよね。

 

中大兄皇子(後の天智天皇)や中臣鎌子(なかとみのかまこ/後の藤原鎌足)らに権力が移り、ここで滅ぼされた蘇我氏は仏教の受容に積極的な崇仏派でしたが、物部氏や中臣氏などは朝廷の神事に携わり、外国の宗教には否定的な廃仏派だったため、もしかしたら神社が増えていた時期なのかも?なんて勝手に想像して楽しんでいます。

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。

 

 

 


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