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こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
天白信仰という言葉をお聞きになったことはありますでしょうか?最近私はこの天白信仰の分布がほぼ本州の東半分にみられる民間信仰だと初めて知りました。
しかもその分布は長野県・静岡県を中心として、三重県の南勢・志摩地方を南限、岩手県を北限として広がっているといいます。現在中部地方を中心に全国には122社の天白社があるといわれています。
ウイキペディアによると、”天白信仰の対象・内容が星神・水神・安産祈願など多岐にわたることから様々な研究・解釈が行なわれたが、1980年ころから伊勢土着の麻積氏の祖神天白羽神(あめのしらはのかみ、長白羽神の別名)に起源を求める説が紹介されることが多くなった。”とあります。
しかも天白信仰は一昔前はいろいろあるような「謎の神」の一つとして名が挙げられたそうで、天白社、天白信仰は民俗学の権威たちにとっても永遠のテーマになっているとか。
そんなに難しい永遠のテーマでもある天白信仰ですが、天白神社分布の中心とされる静岡県に60年も住んでいるのに、天白信仰を知らないのはちょっとはずかしい?と感じたことがきっかけになり、とにかく天白信仰の詳細を知るには、やはり書物を読むのが近道と思い、ウイキペディアにも登場する山田宗睦著の『天白紀行 増補改訂版』を読むところから始めました。
山田氏が本の中でおっしゃるには、1977年(昭和52年)ごろには、遠江には47ほどの天白社があったとのこと、これは東三河よりずっと多いとか。
そこで、グーグルマップのお力を借りて、現在静岡県(主に遠江)で36の天白信仰関連の神社をピックアップすることができました。これからどれだけの時間がかかるかわからないですけど、少しづつ参拝して回りたいと思っています。
今回はまず天白信仰とは?というところを、少しだけ深堀ってみたいと思います。なんせ、民俗学の権威もむずかしいテーマというのだから、ハチャメチャな感じになるのは仕方なしということでよろしくお願いします。
天白信仰
『天白紀行 増補改訂版』を読破するまでもなく、天白信仰とは?の結論は裏表紙にありました。
山田宗睦氏いわく
私は天白を、伊勢神宮の神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)の祭神、天ノ白羽神が始元で、この神が諏訪大社のミナカタトミ・大祝祭政とともに、諏訪に移動したため、天白信仰は伊勢ー諏訪二社を両極として、伊勢・尾張・三河・三河・信濃・遠江と、濃密に分布する天白圏ができ、さらにその東の外延(駿河・甲斐・武蔵など)にまで流布して亜天白帯ができたとみている。
とあり、「天白の起原を天ノ白羽神に求める」としたことを確認することができました。なるほど!と、本を読み進めるとやはり「天白羽神」が大元ということなのかもしれないなと感じ始めました。
そういえば、遠江の天白神社で先日お参りした浜松市中央区入野町に鎮座する天馬駒神社(てんぱこ神社)とも呼ばれる『天白神社』、珍しく壁のない吹き抜けのお社が印象的なこちらの『天白神社』の御祭神が天白羽大神(あめのしらはねのおおかみ)だったことを思い出しました。一致することに感動を覚えた素人のアラカン。
ところが、神麻続機殿神社末社八所(皇大神宮所管社)を調べてみると、御祭神は神御衣祭に供進される荒妙(あらたえ)を奉織する御機殿の鎮守の神、『神麻続機殿鎮守神(かんおみはたどののちんじゅのかみ)』で上機殿(かみはたどの)とも呼ばれているとあるではないですか?どういうこと?
『神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)』
鎮座地:三重県松阪市井口中町字井出ノ里675-1
地元では、上機殿(かみはたでん)や上舘(かみたち)さん、また麻続で「おみさん」とも呼ばれる『神麻続機殿神社』は、松坂市に鎮座しており、この神域には神麻続機殿神社末社八所も祀られ、祭神に神麻続機殿鎮守御前神(かんおみはたどののまもりのみまえのかみ)が祀られています。
こちらの神社の正面建物は荒妙(あらたえ)麻をを奉織する八尋殿(やひろどの/作業場)。その左側が神麻績氏(かんおみうじ)の祖神、天八坂彦命(あめのやさかひこのみこと)を祭ります。
御前神(みまえのみ)として八末社が祭られていますが創立、祭神とも不明とのこと。
八尋殿で皇大神宮と別宮の荒祭宮(あらまつりのみや)にたてまつる荒妙(麻)を奉織しており、両機殿(はたどの)での御衣奉織行事(機織立)は、松坂市の無形民俗文化財に指定されています。「御衣」でおんぞと読み、荒妙(麻)を奉織するのは地元の織子さんだそうです。
あら?御祭神がちがうじゃない!と思っていたら、長白羽神(ながしらはのかみ)の別名が天白羽神(あめのしらはのかみ)だと知ることになったのです。
長白羽神は天太玉命(あめのふただまのみこと)の同族神であるといい、常陸国久慈郡(現茨城県常陸太田市)の式内社『天志良波神社』、また丹後国与謝郡(現京都府与謝郡与謝野町岩屋)『阿知江磯部神社』の祭神として祀られていることがわかりました。
天志良波神社(あめのしらはのじんじゃ)
天志良波神社は、茨城県常陸太田市白羽町にある神社で、創建時期は不明ですが、866年(貞観8年)に従五位下に列し874年(貞観16年)に従五位上に昇格、1544年(天文13年)には佐竹義篤によって社殿が修繕されており、1844年(天保15年)には水戸藩によって白羽など5村の鎮守社とされます。
阿知江磯部神社(あちえいそべじんじや)
『阿知江磯部神社』は、京都府与謝郡与謝野町岩屋に鎮座する神社で、「延喜式」神名帳に与謝郡「阿知江アチエノ神社」とみえる式内社に比定する説があるとのこと。
江戸時代には白鬚(しらひげ)大明神と称したそうで、由緒は不明ですが、1870年(明治3年)に再建され、1873年(明治6年)2月に村社となっています。御祭神は長白羽命。境内社に恵比寿神社があるそうです。
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話を元に戻して、天白羽神(長白羽神)はどんな神なのでしょうか?
天白羽神(長白羽神)
天岩戸神話に登場し、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子、八意思兼命(ヤゴコロオモイカネノミコト)に命じられ、麻を育て「青和幣(あおにぎて)」を織った神です。
神麻続機殿神社で伊勢神宮に奉納する荒妙(あらたえ)を織った神麻続部(かんおみべ、神麻績部とも)の祖神とされ、白い衣類を白羽と呼んだのは長白羽神に由来するとされ、江戸時代には「白髭大明神」と呼ばれていたともいわれます。
天白羽神の他にも名前の表記があり、天之志良波神(あめのしらはのかみ)、天白羽命(あめののしらはのみこと)、天白羽鳥命(あめのしらはとりのみこと)、長白羽命(ながしらはのみこと)などがあります。
父は天日鷲翔矢神(あめのひわしかけるやのみこと/天日鷲命(あめのひわしのみこと)の別称/弓矢につながる神)です。
天日鷲命は、日本神話に登場する神で、『日本書紀』や『古語拾遺』に登場する。 阿波国を開拓し、穀麻を植えて紡績の業を創始した阿波(あわ)の忌部氏(いんべし)の祖神。 麻植神(おえのかみ)、忌部神(いんべのかみ)とも呼ばれます。
兄弟姉妹に天羽槌雄神(あまのはづちおのかみ)がいる。機織り、紡績に強い神徳があり『住吉神社』などでお祀りされています。
参照元:長白羽神 - Wikipedia
天白信仰の別の漢字表記
天白信仰は、漢字では天伯、天魄とも書くと山田宗睦著の『天白紀行』で知りました。
魄とはなんぞや?と調べてみると、月のかげの部分/たましい/肉体的活動をつかさどる陰の気で死後は地上をさまようなどの意味をもつ漢字。他には「たましい」と訓読し、「精神を司るたましい」である「魂」 に対して、「魄」は「肉体を主宰するたましい」であると説明されます。
天白社は伊勢神宮の中にはない
伊勢神宮に天白が関係しているのは事実のようですが、摂社や末社として『天白社』があるわけではなく、「神宮神楽歌」の中に「てんはくのうた」が記録されて残っていると著者は書いています。
イヤ天はく御前の遊びをハ
イヤ雲をわけて遊ふなリ
イヤ星の次第の神なれハ
イヤ月の輪にこそ舞ひたまヘ
イヤ紫の八重雲わけて降りたまふ
イヤ天はく御前に遊ひまいらん
イヤ紀の国や高野、粉河に降りたまふ
イヤ天はく御前、原の天はく、屋の天はく、村の天はく、鵄尾(とびのお)の天はく、かたきしの天はくに、千代の御神楽参らんとする
このてんはくのうたの「鵄尾の天はく」は天ノ白羽だということになる。天ノ白羽は伊勢神宮で御琴神とされていた。
平田篤胤・神代系図では天の岩屋戸神話に登場する天手力男(タヂカラオ)の子としている。
古語拾遺その他からの系譜によると天手力男の子に
天白羽(アマノシラハ)・・神麻続連(かんおみのむらじ)らの祖
天羽槌雄神(アマノハヅチオ)・・倭文連(しとりのむらじ)、長幡部(ながはたべ)らの祖がいるとされ、兄弟神とされている。
麻続(おみの)、倭文(しとり)ともに機織りを業とした部の伴造(とものみやつこ/大和朝廷を構成する諸氏族の首長)であり、これが伊勢神宮に布帛(ふはく)をおさめていた。
( 『天白紀行 』 )
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『天白紀行 増補改訂版』
私が読み始めた『天白紀行 増補改訂版』は、滋賀県から埼玉県の郷土史研究家の協力を得て1971年に出版した『大天白神』各地の天白社の分布をまとめ「天白信仰は水稲農耕以前、縄文時代まで遡る」とした今井野菊氏らの研究を受けて、著者の山田宗睦氏が三重・愛知・長野・静岡・山梨の5県を重点的に調査し、その結果を1977年中日新聞に『天白紀行』として連載した記事を著者自身が大幅な補筆修正を加え、書籍化したものだと認識しています。
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愛知県天白区と天白神社
「天白」と聞いてまず思い出すのは名古屋市天白区、天白区といえば愛知県の東部に位置し、区域のほぼ中央を天白川が流れています。
天白川は下流の流域に天白社が祀られていたことにより、天白区は天白川からとって名づけられたとのこと。昔の東海道には「天白橋」があり、この橋の東に「字天白」という小字名が残り、そこに「天白神」を祀る『天白社』があったといわれ、現在中部地方を中心に全国には122社の天白社があるといわれています。
なんとも天白まみれな感じで笑っていまいますが、元々この地区は土砂崩れを想像させるような「蛇崩(じゃほう)」という地名で呼ばれていたそうです。
”蛇が多くおって、土砂を取るために崖を崩すと、蛇が群がって落ちてくる”と、愛知県の郷土資料『天白区の歴史』に記されているとのことです。
明治39年(1906年)、四つの村、平針村・植田村・弥富村(中根を除いた地域、現在の昭和区の一部を含む)・島野村から現在の天白区の前身である天白村が誕生しました。
「天白」という名称は、この地を北東から南西に貫流する「天白川」からとって名づけられました。天白川という名称は、下流の流域に天白社が祀られていたことによります。
緑区鳴海町に「字天白」という小字名があり、昔の東海道の天白橋のすぐ東の土地です。そこに天白社があったといわれています。天白社には天白神が祀られており、中部地方を中心に全国で122の天白社があります。
この天白神が祀られている場所は、大きな川の下流や海岸が多いため、河川の暴流を防いで田畑を守る神であり、街道を行く旅人を怒涛から守る神でもあったといわれています。
( 名古屋市:天白区の概要(天白区) )
なるほど!確かに遠江でも現在の天白社関連の神社などは、川の氾濫があった場所や沼地だった場所に鎮座し、農業神として祀られていることが多い。つまりは川の氾濫があった場所や沼地などを開拓し、田や畑にしていった人々が水害を恐れ祀ったとも考えられます。
東三河の天白社
愛知県の天白区から東三河に鎮座する『天白神社』などが、さらに東の遠江の『天白』につながっていきます。後先などはわかりませんが、全国でも122の天白社なのに、著書には1977年(昭和52年)のころ、遠江には47ほどの天白社がある書かれています。これは東三河よりずっと多いとのこと。
愛知県蒲郡市三谷に鎮座する『天白神社』、昔は「天白社天王宮」といわれました。こちらの本殿は1860年(万延元年)に再建。1857年(安政4年)には手水鉢、1862年(文久2年)には「天白天王御広前」とある幟などが現存しており、御祭神はスサノオ。
愛知県豊橋市高師畑ヶ田に鎮座する『天伯神社』は、神明神社に合祀されており、同じく豊橋市大手町に鎮座する『天白稲荷社』は、安土桃山時代の1583年(天正11年)の創建といわれる「神明社」の境内に祀られる『天白稲荷』は、願をかけると子供の夜泣きが止まると言われているそうです。
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最後に
ほぼ本州の東半分にみられる民間信仰『天白信仰』、その分布は長野県・静岡県を中心として、三重県の南勢・志摩地方を南限、岩手県を北限として広がっており、現在中部地方を中心に全国には122社の天白社があると聞きました。
静岡も中心となっている「天白信仰」に深い興味を抱いた私は、山田宗睦氏が著した『天白紀行』を読み始め、天白信仰の対象・内容が星神・水神・安産祈願など多岐にわたること、さらに1980年ころから伊勢土着の麻積氏の祖神天白羽神(あめのしらはのかみ、長白羽神の別名)に起源を求める説が紹介されることが多くなったことを知ります。
グーグル先生の協力と本に記録された「天白神社」や「天白社」を基に、現在遠江付近の36の関連神社をピックアップすることができたので、これから数年をかけて、前回記事の「六所神社」と、今回記事の「天白神社」を参拝して回りたいと考えています。
次回は、まず先日参拝させていただいた遠江の天白神社や天白社の記事をアップしていきたいと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。