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Channel: sannigoのアラ還日記
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近隣の皆さんの憩いの場としても魅力的な『高貴神社』かなり親しみを感じます

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こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回は私が年に3度以上はお参りしているとても身近な神社、静岡県浜松市中央区上島に鎮座する『高貴(たかぎ)神社』を改めて調べていきたいと思います。

 

こちらの『高貴神社』は公民館が併設されているため、選挙の投票所にもなっていて親しみやすいです。

 

また子どもたちが遊べるようにちょっとした遊具もある児童公園になっていて、いつ出かけてもにぎやかです。聞くところでは公民館でカルチャーセンター的な行事も多く開かれているようです。


境内には大きな銀杏の木が2本かな?あり、冬の到来が遅い遠江での紅葉の時期12月になると、きれいな黄色に変わるイチョウに癒されて年末の忙しさもまぎれます。


浜松といえば浜松まつりが有名ですが、敷地内には凧の置き場があるそうですが見たこことないですし、かつては、大みそかに参拝し、餅を焼いて食べると悪病除けになるといわれていたことも知りませんでした。(浜松市史より)


現在も毎年大晦日の夜には火祭り(火渡り)がおこなわれ、日本酒や甘酒が振る舞われているようです。ただ、紅白歌合戦を楽しみにしている私は元旦の朝遅めに初詣するためか、未だいただいたことはありません。

 

近隣の皆さんの憩いの場としても魅力的な『高貴神社』かなり親しみを感じます

 

 

高貴(たかぎ)神社

 

 


鎮座地:静岡県浜松市中央区上島5-18-54


《アクセス》


電車・バス:遠鉄[上島駅] ら徒歩約7分(約310m)
      遠鉄[自動車学校前駅]から徒歩約17分(約720m)
      遠鉄バス[上島バス停] から徒歩約4分(約270m)
車:東名高速道路[三方原スマートIC]より約5分
  東名高速道路[浜松西IC]より約12分
  東名高速道路[三方原スマートIC]より約15分
駐車場:ありません。(有料予約制の駐車場が境内前にあります)
御朱印:無人でしたのでいただけてません。調べてみても情報がないので、いただけないのでは⁉


高貴神社とは

 

社殿の屋根には『唐獅子』こちらにも「あ」「うん」があります。

 

創建は不明ですが、文久3年9月再建の棟札があったそうですから、1863年以前から鎮座していたことは間違いないようです。


上島町産土神として篤く崇敬され旧社格 村社に列しました。現在の社殿は1928年(昭和3年)10月氏子の奉賛により建立されたとのことです。

 

屋根に飾られた唐獅子は、その姿、形から邪気や邪鬼を祓い災難を避けて、福を得られる縁起物としてまた、大きな口で火を吹き消す火除けの縁起物です。口をよく見ると唐獅子にも阿と吽があるのがわかります。


高貴神社の社殿の左奥には地元では「天白様」と親しまれ、付近の『有玉神社』、『白華寺』などと同様に坂上田村麻呂の所縁がある神社『天白社』が鎮座しています。


また、高貴神社は旧秋葉街道沿いに面しているからでしょうか?境内に2基の秋葉常夜灯が安置されています。


御祭神


主神は高見産霊神(タカミムスビノカミ)


高御産巣日神は、古事記で天地が初めて出現した時、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)に次いで神産巣日神(カミムスビノカミ)と共に現れた造化三神の一神、こちらの三神は万物の根源を示すとされ、宇宙の起源とも伝えられます。


ただ、こちらの『高貴神社』では高御産巣日神ではなく、高見産霊神と表記されます。

高御産巣日神は高木神とも呼ばれますが、高木から高貴と書き換えられて現在の社名になったようです。

 

相殿


・若宮八幡宮

大雀命(オオサザキノミコト/仁徳天皇)

人民の家々から炊飯の煙が立ちのぼらないのを見て課役を免じ、みずからに倹約と耐乏を課したと伝わる。


・津島神社

素盞嗚命(スサノオノミコト)

日本神話の神。伊奘諾尊いざなぎのみこと・伊奘冉尊いざなみのみことの子。天照大神あまてらすおおみかみの弟。多くの乱暴を行ったため、天照大神が怒って天の岩屋にこもり、高天原から追放された。出雲に降り、八岐大蛇やまたのおろちを退治し、奇稲田姫くしなだひめを救い、大蛇の尾から得た天叢雲剣あまのむらくものつるぎを天照大神に献じた。(コトバンク)


境内社


・天白社

天白大神(テンシロオオカミ)

 

鳥居

 

高貴神社の『鳥居』と『御由緒』

 

御神木

 

上島駅の近くは割と緑がいっぱい!実のなった『御神木』

 

社殿の前には立派な御神木が、高貴(高木)神社だからでしょうか?立派な御神木が社殿を見守っています。境内には他にかなり大きなイチョウの木もあり、神社近くの大きな通りを走っているときも車内からも新緑や紅葉が楽しめて幸せです。

 

秋葉常夜灯鞘堂・常夜灯

 

1784年建立の『秋葉常夜灯鞘堂』の立派な龍の彫刻は目が効いている


1つは、秋葉灯を保護する鞘堂に安置されている常夜燈で、内部の常夜灯には「秋葉山」「天明四甲辰正月吉日」(1784)と刻まれているそうで比較的古いものです。


もう1つは鞘堂の脇に柱の土台のみが残る常夜灯で、「秋葉山」「村中安全」「弘化四年末建立」(1847)と刻まれています。鞘堂の常夜灯から63年後の建立です。


どちらも元は「上島東会館」付近に建てられていたものをこちらに移設した物だそうです。


特に遠州地方で盛んだった「秋葉信仰」は、江戸中期より全国的に広がった火防(ひぶせ)の神を信仰します。


昭和50年頃も掛川の実家などでは、例年同じ日に「代参」という地区の代表がお供え物を持って貸し切りバスで参拝に出かけていました。


バスでお神酒などをいただいて陽気な気分で秋葉山に無事お参りを済ませると、地区の皆さんの分も火防のお札をいただいて持ち帰り、後に地区の皆さんに配ります。各家庭ではいただいたお札を火に関係する台所や作業場などにお祀りします。


こちらにあるような「秋葉常夜灯」がある浜松や袋井、磐田などでは、その内の一枚を籠燈に納めて毎夜火を灯しお祀りして地区の安全を祈ったのだと思います。


現在もこの「秋葉信仰」という風習?みたいなものが掛川に残っているかは不明ですが、浜松では早出や浜北などで残されているようで、新聞記事などにもなって信仰のようすを知ることができます。

 

『高貴神社』社殿の左奥には、たくさんの幟がはためく『天白社』があります。境内社ですが、存在感はなかなかです。

 

天白社

 

万事何事も叶えられる『天白社』と案内板


その昔、高貴神社の「天白社」は、万事何事もかなえられる天白大神と崇敬され、遠州一円から「天白様」と親しまれ多くの信仰を集めたそうです。


同じく中央区有玉南町の『有玉神社』、中央区上島の『白華寺』などと同様に坂上田村麻呂の所縁がある神社です。

 

御祭神

天白大神(てんしろおおかみ)


相殿 

・御岳大神(おんたけおおかみ)
・修成大神(しゅうせいおおかみ)
・白山妙理大権現(しらやまみょうりだいごんげん)

 

天白社の案内板によると御由緒は以下のような坂上田村麻呂の東征に係わっていたことがわかります。

 

由緒

 

今より千二百年の昔、桓武天皇の時代、蝦夷(えぞ)への討伐が計画され、坂上田村麽呂将軍は百数十の武者を配し奈良の都を出陣、遠州の当地を通過の際、磐田の海は濁流渦巻く大氾濫、将軍は神の力に頼る以外道なしと篝火(かがりび)をたき、夜を撤して一心に風雨鎮めの祈祷をしていました。 
 その時、白馬馬上の白髪の翁(おきな)現われ、治水の球(たま)を将軍 に授け、将軍は荒れ狂う渕に自から珠を投じたところ、 不思議にも奔流鎮まり渡行できました。
 目的を成就した帰路、再び当地を訪れ流木に自から「 白馬馬上左手に桃の小枝を抱いた白髪の翁」の像を精魂こめて彫刻(ほりきざ)み、護り神として崇め奉り、祠を建立して像を安置しました。(御神体) 
 祠の祭神を天白大神とたたえ祀り、この地を天白森と呼ぶようになり以後、天白大神の御神徳は「万願何事も叶えられる大神さま」と崇敬(そうけい)され、里の人々の無上の心のよりどころとして広く世に伝わり、今日に至っています。


天白森  現、赤池薬師より東北三百米地点
明治七年   天白森より現、氏神社殿に合祀
明治三十九年 御籠堂建立(現、公会堂)
大正二年   神道修成派に加盟、教会設立造営遷宮(現在地)
昭和三十一年一月十三日 災火全焼
昭和三十二年十二月   復興
昭和四十二年四月 曳馬町三浦神社より御岳社を合祀
平成元年二月   上島二丁目白山妙理大権現を合祀
平成五年四月   社殿増改築

(天白社境内案内板より)

 

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つまりは、蝦夷討伐のため奈良からの東征途中に現在よりも広く磐田の海と呼ばれていた暴れ天竜が氾濫し通過できなくなり困った将軍が篝火をたいて、徹夜で風雨鎮めの祈祷をしていたところへ、『有玉神社』の伝承に登場する美女に姿を変えた蛇ではなく、白馬に乗った王子さまでもなく、白髪の翁(天白大神)が現れます。


この翁から渡された治水の球を将軍自ら沼に投げたら、あら! 不思議!氾濫が収まり磐田の海を無事渡ることもできたし、目的の蝦夷討伐も成就できました。


ということで、再び当地を訪れた坂上田村麻呂は流木に「 白馬馬上左手に桃の小枝を抱いた白髪の翁」の像を精魂こめて彫刻し、この像を御神体として祠を建立しました。祠の御祭神を「天白大神」とたたえ祀りました。


この地は天白森と呼ばれ、「万願何事も叶えられる大神さま」と里の人々から深く崇敬され、今日に至っているということのようです。

 

坂上田村麻呂が自身で彫刻した像を祀り建立した祠があった本来の「天白森」は現在の『赤池薬師』の北東300m地点とのことですが、実際にはどこなのか詳細がちょっと気になります。

 

上島町公民館(投票所になる)

 

写真がなかったので、境内でさえずっていたかわいい小鳥をどうぞ!

 

その昔、高貴神社の「天白社」は、大みそか深夜の火祭りなどで徹夜することが多く、厳寒雨雪は参詣者を困苦せしめることもあったといいます。


そんな姿を見た村人たちは東奔西走して浄財を仰ぎ、1906年(明治39年)にようやく遠来者用の『天白籠堂』(仮眠所8畳8室)が建てられたと、以前の案内板で知りました。


現在は公会堂として使われています。2012年(平成24年)に新しい公会堂に建て替えられました。


旧秋葉街道の道標


境内の南東隅には、二俣街道(旧秋葉街道)の道標が移設されています。

 

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最後に

 

今回はいつもお参りしていると言ってもいいかもしれないと思っている浜松市中央区の『高貴神社』です。

 

御祭神を高御産巣日神ではなく、高見産霊神と表記されたり、高木神社ではなく『高貴神社』としたりとちょっと変わっていて、しかも児童公園もあり、公民館もあるという地元の皆さんの憩いの場として、かなり親しみを感じる神社ではないでしょうか?

 

そして、ビックリなのは境内社の『天白社』は、なんと以前記事にしている「有玉神社」や「白華寺」などのように、あの蝦夷討伐で知られる坂上田村麻呂が祠を建てたという伝承があるとは・・・。知らなかったです。

 

しかも、氾濫した磐田の海を鎮めたのは、美人に化けた蛇ではなく、白馬に乗った王子様でもなく、白馬に乗ったおじい様だったとは!数々の伝承よ恐るべし。

 

最後までお読みいただいてありがとうございます。では、またです。

 


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